光圀さん、久しぶりに現れたら、「愛」について語ってれました。

私が、「武士って石頭で柔軟性が無い」と考えていたので、それに対する反論でしょうか?

カウンセリングで、武士霊が出てくると、いつも私を馬鹿にします。

彼らは尊大なので、一般人を見下します。だから迷っているのですが。

人間を平等に見られないのは、男尊女卑と士農工商の身分制度の所為ですかね?

とにかく、私から見ると武士道って魂を委縮させるだけの外道ですね。

 

≪霊界は愛の世界★徳川光圀のメッセージ≫

 

「自分のような武骨者が、命の言葉、愛の言葉を伝えるのは、とても気が引けるものです。武士は、大義に誠を尽くし、何事にも潔く美しく生きることを信条とします。愛などとは、女子供の手緩い飾り物、と考えていました。しかし、こちら(魂)の世界では、愛こそが真実であり、愛こそが神に奉るもので在ります」

 

「魂の世界では、愛が無ければ意味をなさず、愛が無ければ神の御前に上がることは適いません。現世では、現世特有の、気概、に流されて愛に気づかぬものです。特に武士は、出世に励まなければならないので、他人を思いやる愛などに関心は無しく、魂の奥に在る真の光を閉じ込めてしまうのです」

 

「魂の器である自我は、愛が発出される場ですが、愛を表すには、平安、な状態とならなければいけません。そのために、現世の人間は、物質的に満たされることで、魂の平安を得ようとします。¨楽な暮らしをしたいからもっとお金が欲しい¨¨あいつが居なければもっと善い人生があるのに¨と、現世欲を満たそうとします。物質的環境に依存しているのですね」

 

「武士も同じで、魂の真にとっては、今の平安な境遇で充分なのに、もっと出世してもっと偉くなり、報酬も家来も家財ももっと欲しい、と執着します。問題は、現世欲を満たしで平安になるのではなく、魂の在り方で在り、それは、愛、のです」

 

「武士は、尊いもの、身命を捧げる大義を求めます。神の世界では、それは、愛、なのですが、武士は俗世のモノなので、武士にとっての大義は、君主や天皇であります。俗世の大義と、神の愛を混同しております。現世欲に囲いの中に在る、君主や天皇は偶像であります」

 

「彼のキリスト教は、偶像を禁ずるというが、それはこのような意味を持つ。人を含めてすべての生き物には魂があり、その魂の中には、大神からの光の道が通じている。偶像とは、人間の魂を俗世の欲望の檻に閉じ込めることです」

 

「仏像をブッダの象徴として大切にすることは偶像崇拝ではありません。しかし、仏像を金や高価な輝石で彫像し、他人に自慢するような愚行は偶像崇拝です」

 

「尊いものを愛するという魂の真を、現世の欲得に重ね合わせて、身命を削るという愚かしい行道、それが武士道のです。お分かり頂けましたか?」

 

  

  ↑自動書記で描いた、しあわせ地蔵

 

 

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