長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

シロツメクサは見ていた

2019年04月14日 17時14分50秒 | 近況
 何たる不覚。何たるプロ意識の欠如。なんという不心得者。
 …なんということでしょう、4月早々のど風邪をこじらせ、2週間ほど臥せってしまいました。
 処方薬が体に合わず、快方と悪化を数日ごとに繰り返し、万事休す、もうどうしていいか分からない状態に陥ったのが先週中頃。
 土曜日の二時間待ちの診察室をやり過ごして、やっと新処方のお薬で、こうしてコンピュータに向かう心のゆとりが…
 申し訳ないことでございます。お稽古を休んでしまってごめんなさい。

 我が喉頭蓋は不思議なことに二股に分かれており(古びたこと二十年といわず、生まれた時から猫又なのです)、のどの奥がぴたっと閉まらず、黴菌の侵入を防ぐに不利なので、幼少期は季節の替わり目に必ず熱を出していた扁桃腺持ちなのです。
 (熱が出ると桃の缶詰を食べさせてもらって元気になるという、昭和のころありがちな類型なのでした)

 しかし、無類の桜好きの日本人の端くれとして、一年にたった一度のこの時季に、桜を見ずに過ごすなんて考えられない!! ちょうど西暦二〇〇〇年、平成12年の春、千鳥ヶ淵に友人と花見に行き、花冷えにあてられ体調を崩して寝込んで以来の不祥事でありました。
 (それだって、花見に行ってから熱が出たのであって、見過ごしたわけではないのです)
 しかも平成年間、最後の花見なんですぜ……

 そんなわけで花見に対する執念を家人が憐れみ、時間が取れたある平日の昼下がり、遠出はできないけれども都下で何とか満開の桜に巡り合えぬものか…と桜狩に出掛けました。なんとまぁ、ありがたい。関東平野と武蔵野台地の丘陵地、標高差・気温差に感謝。

 病床にて見えぬ桜を思い描いておりましたところ、小学校高学年だったか…の時に読んだ福永令三著『クレヨン王国の十二か月』の、三月だったか四月だったか、嘘ばかりつく鳥が桜の花びらに巻かれるシーンを不意に想い出し、あの鳥はウソだったか、シジュウカラだったか…まったくたどり着けない記憶の底を情けなく思っていたところ、お隣町の耳鼻咽喉科2時間待ちの待合室で、本当に吃驚するほど偶然に、しかし、当たり前のように、端然と病院の本棚に微笑むように在ったのが、その、クレヨン王国の十二か月、その本そのものだったので、とてもとてもびっくりしました。
 (手に取ってみて、しかし、むかし私が読んだのと若干内容が違うような気もいたしました。実を申せば昭和45年前後の小学生の私は、その作品に惚れ込み、図書館で借りたものだったので、手元に残すために本文を四百字詰めの原稿用紙に写したのです。ただ、何章分だったかは忘れました。自分の性格として全部が写文できたとは思えませんし…)
 ぁぁ、もう明日は日曜日か…と昨晩またまた脳裏をよぎったのは『らいおんみどりの日曜日』という児童書のタイトルでした。
 
 走馬灯のように子ども時分の記憶が…ぁぁ、もういけないかもしれない………

  名残りの桜


【追記】
 カタカナの“シ”と“ツ”の書き分けができない手書きの文字を見ると、心が波立ちます。
 昭和の国語の先生はきちんと教えてくれたのです。
 ひらがなの“し”の派生なので、縦にチョンチョンがつづいて、しゅっと右上にはね上げるのが、シ。
 同じく、ひらがなの“つ”から生まれたので、横にてんてんが並んで、シュッと左下にはらうのが、ツ、です。
 お習字は英語より必修だと思います。
 日本文化を世界に発信したいのなら、尚更。

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