長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

キヘンのひと

2018年08月11日 22時33分44秒 | マイノリティーな、レポート
 街は再び再開発。無駄のないすっきりしたビルの群れが誕生しつつあるその景色を眺めながら、しかし、新しく美しい街並みを見るにつけ、どうも何か足りない。なんてのか、殺風景なのである。
 …新しくて美々しいのに、なぜ? なにゆえ?? なじょして???
 それはね……ぅぅむ、そうです、樹が、緑が足りないのです。

 植栽なんて、無闇と広くなった舗道にお飾り程度に置いてあるけど、圧倒的に足りないのです。
 だって、ビルって、鉄と砂利と石灰と粘土とか(要するにコンクリとか)、珪砂とか炭酸ソーダとか(要するにガラスとか)、石の塊、鉱物でできてますもん、緑の大地を荒廃させ砂漠にしているわけです。21世紀も東京砂漠。
 皆が知恵と資本を出し合って、寄ってたかって、わざわざ都市を砂漠化させているんですね。

 だからもう、やたらと暑いんだわさ、幕末に日本に来た外国の方が、まるで植物園のなかで暮らしているようだ、と評したことがあったそうだけれど。…ぁぁ、ねぇ……

 そういや、日本語の漢字で一番多い部首はキヘンだと以前、聞いたことがありましたな。
 きへん。
 もう40年前、占いに凝ってた友人が、あなたは将来、手に木を持つ仕事をするようになる、と予言した。
 どうやって占ったのかしら…そもそも私は本名のファーストネームに既に二本の木があるので、気が多い人間なんですょ。そもそもがファミリーネームにすら二本、木が入っていたのだ。キヘンが付く苗字のひとと結婚したら、それはもう、木の生い茂るウッディな世界なのだ。何の話だ。
 材木屋って、シャレてそう呼んでましたょ、気が多い人のことを。…遠い昭和の市井の物語ですょ。



 さて、わたくしが今生の仮の宿は、府下西域にございます。はじめて都内の甲州街道を23区から通り過ぎて西へ西へと車に乗って移動した40年前、両端の欅がのびのびと枝を伸ばし、梢の無数の葉が風にそよぎ、緑の屋根、トンネルをつくって、それはそれは美しい街道沿いでした。

 江戸、ならびに東京という都市を造成するために資材の運搬路としても活躍してきた、青梅街道、五日市街道…etc. 郊外にも大動脈たる幹線道路が何本か拡がっていて、キヘン王国ニッポンの名にたごうことなく、沿道は樹木で縁取られています。
 それが、ですね…あれはもう2年前の晩春から初夏のこと…俗にいう黄金週間のあたりの出来事。

 省線から動物園へ至る吉祥寺通りの、そろそろ新緑が芽吹いて薫風に吹かれようというケヤキの枝が、無残にもバッサリと切り落とされて、私はとても驚きました。
 ただの棒…電信柱が4本ぐらい合わさった木製のオブジェ様になってしまった、欅の木の痛々しいことといったら。
 枝葉末節、というものではなく、幹が拡がって伸びた主要な枝を刈られてしまったのです。剪定はこれで正しいのだろうか…素人が口を出すべきことではないのかもしれないけれど、天才バカボンのパパも含め、私の知ってる記憶の中の植木屋さんは、あんな伐り方しないよなぁ…樹影事典というものまであるほどに、樹の枝の張りようというのは、重要なものなのに。

 それから可哀想なケヤキたちの様子を、蔭無き陰から観察しておりましたが、そこはなんと健気なものたちでしょう、六月ごろになって湿気を帯びた空気に涵養されたのか、太い幹から直に産毛のような葉を生やしはじめ、ヤドリギをたくさんつけたような不思議な樹影になりました。 
 これは何か見たような…そうだ、何年か前に緑の地球博で売り出されたイメージキャラのモリゾーとやらに似ている……。

 こうして、美しい樹影を形づくり、市民の心のやすらぎ、景観のいしづえであったはずの吉祥寺通りのケヤキたちは、幹から直接柳のような細い枝を枝垂れさせて、樹の影から幽霊でも出てくるんじゃないかという姿にさせられておりましたが、さらに驚くまいことか、その年の秋口。
 落ち葉の舞う移りゆく四季の風情が楽しめようという、その、もののあわれも味わわぬまま、黄葉する前に再び剪定作業車がやって来て、ことごとく葉と枝を刈り取っていったのです。

 濡れた落ち葉がすべって危ない…というクレームに忖度したのでしょうか、台風で折れる枝が危ないという提言があったのでしょうか?
 いくらなんでも、自然の摂理である落葉の権利までをも樹々から奪うとは…!! かくも酷薄たる人間たちの所業を、いかにとやせん…
 動物虐待を騒ぐ方は多けれど、かくもむごき植物たちへの仕打ち。こんなことが許されてよいものかいなぁ…(文語体で嘆く私)。

 そんなわけで、昨冬は、吉祥寺通りのケヤキ並木は、電飾用のただの木の台のようになってしまいました。
 季節感のない街で私は、身も心も凍りつき乍ら、その木霊の骸(むくろ)の下、駅までの道を毎日辿ったのです。

 ですから、落ち葉かきの労を惜しんだ報いでもあるまいに、本末転倒というか、負のスパイラルというか…この炎天下、直射日光に曝される舗道を散策するという物好きがいるわけもなく、歩道沿いの商店も閑古鳥が鳴いて、観光客の増える日祝しか営業しないというケーキ屋さんまで出てきました。

 それから二度目の夏を迎え、今年もバッサリ剪定された街路樹は、それでも、太い幹からこんもりと緑の葉を繁らせましたが、ケヤキ特有の、太い幹からすっきりとのびやかに広がる枝葉、それらが生み出す爽やかな木陰が、今さら育つはずもなく……
 さらなる猛暑に為すすべもなく、本来なら樹影のトンネルのもと、木々の緑に目と脚を休ませ一息つく愉しき街角になっている場所なのに…木蔭の恩恵を受けられない街路樹の並木道ってどうょ…と灼熱の日差しを避けて、ありがたや、全国のコミュニティバスの先鞭者たるムーバスに乗車し、私は駅まで通うのです。

 さてまた、今年の秋、彼らはどのような処遇を受けるのでしょう…
 街路樹の美質、長所をいかせぬまま、浅はかな方策でもって街並みを衰退させてゆく、愚なる処方が再来するのか。
 いずれにしろ、年月と人の手によって立派に育てられてきた樹は、伐ってしまったら、いかんせん、すぐには生えてきませんからねぇ……


 付:写真は吉祥寺大通りとは全く無縁の、とある神明社の境内の樹々であります。昨秋11月撮影。


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