長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

レモンの災難

2020年06月09日 11時39分39秒 | 雑感
 今年は四月が閏月で、そうなるとどうしたって慶応四年の戊辰戦争のことを思い出してしまうのだが、ストロベリームーンなんて素敵な名称が新大陸の先住民間にはあったのか…ロマンだねぇ…の一方で、星をつかみ損ねた近藤さんの、慙愧に堪えぬ表情が水木しげるの新選組の絵面で浮かぶ、長らく生きていると発想がごった煮である。
 世相の混沌さに引き摺られ、わが脳内もカオスなのだ。しかし万物は混沌から生まれるらしいので、ごった煮にする材料は多いほどいいのだ。(あくまで自説ですのでお試しくださいませぬよう…)

 ベランダの植木の世話をしながら(わが庵〈いお〉のスズランは残念ながら花芽が出ず、栄養過多なためかすっかり立派な葉蘭へと成長していた。梅松桜の三人が三人とも、その逞しさたるや、鮨屋に売り飛ばしたいぐらいである)、今年は蝶の姿を見ない…と、茫洋たる世界の片隅で自然界の推移に心を悩ませ、真っ白なスケジュール帖に呆然としながら、なぜか8時ちょっと前に目が覚めて、ここ3週間ほど恒例となった朝ドラを見る。仕事がないほうが規則正しいのである。

 朝っぱらから定期的にテレビを見る…なぞという心の余裕もなく過ごしたここ40年余りだったので、国民的ドラマというものを、一切見たためしがない私には、大層珍しい日常なのである。
 事の始まりは5月の中頃、深夜の時間帯に、やれやれ疲れた、テレビでも見て気休めしよう…とつけた画面、夜11時のBSで、連続テレビ小説の再放送をやっていた。
 おお、そうだった、いま朝ドラで古関裕而の生涯をやっているのだった、どの辺まで進んだのでしょう、この俳優さんは記憶探偵?いやいや、臨床犯罪学者・火村英生の推理に出てた人だわね…と、昨日までのあらましを見ていなくても知っている、情報社会の有難さ。
 そうそう、無事東京オリンピックが開催されていたら、まさに、出場者に対する応援歌ということを当て込んでの『エール』というドラマだったのでしょうに、目論見が外れてしまった番組関係者各位が可哀想である。…とはいえ、この度の禍がなければこの番組が私の目に触れることもなかったわけで、人生どう転ぶか巡り合わせというのは全く不思議なものですなぁ…

 コロムビアをもじった、コロンブスレコードからして爆笑なのであったが、赤レーベル青レーベルという話の最中、青レーベルのレコードのラベルが目に留まった。
 「長唄交響曲 越後獅子」作曲が山田耕筰、唄が松永和風…おお、なんと!! 長唄が現在のエレキギターのように流行していた時代…わが人生の研究テーマである、昭和戦前の文化が描き込まれている。

 どうしたって古賀政男らしい、コガラシィ先生まで出てきて、私は俄然発奮した。
 高畠華宵の絵から抜け出たばかりの、美しい三浦環らしいフタウラ先生といい、やたらとおかしなネーミングセンス。こういうヘンなところが須らくツボだ。演出がまた、昭和の少年誌のスポコン漫画のようにアツい。すっかり心を奪われてしまった。

 いまさら昭和歌謡史をなぞってみようとも思わなかったが、ゲラゲラ笑えて愉快である。ことさらスラップスティックなのである。そして、俳優さんは知らない人ばかり(それでも、10年ほど前に矢鱈と観た東宝系ミュージカルでお見かけした顔もある、高橋掬太郎役の方は将棋の行方九段にソックリである)だが、舞台設定とモデルと思われる方々は、わが心の古き知人たちである。

 番組に描かれた戦前の地方小唄の流行は、戦後の民謡ブームと合わせて、20世紀の日本歌謡史を伝えるものには懐かしいエピソードだ。
 わが杵徳の初代・三世杵屋勝吉にも『前橋音頭』というご当地ソングがあった。戦前のことで、譜も含め一切の資料が失われてしまったので、先年、当地にお邪魔して現行の前橋音頭を拝聴したが、戦後作曲されたものだった。
 日本の文化は、1940年前後に存在した大戦のために、多くの宝を失った。太平洋戦争の罪深さを呪う。

 古関裕而の最初のレコードが出た翌年、私の父は生まれたが、とにかく歌うことが大好きな人で、昭和50年代にはカラオケの8トラックシステムが家に常備されていた。父は絶対音感が自然と備わっていたらしい、小学生のころ音楽の先生に驚かれたエピソードを持っていた。学生時代はwalking dictionaryとあだ名され、書斎には本とレコード、理科の実験道具が堆く積まれていた。
 雑学の宝庫である父の本棚から私も、丘灯至夫先生の「明治・大正・昭和歌謡集」という、私が生まれた年に出版された本を持ち出し、この40年というもの心のバイブルとしてきた。
 橋本治が音楽之友社から『恋の花詞集~歌謡曲が輝いていた時』を出版したときは、おお、わが心の同志よ! と、とてもうれしかったものである。

 そんなわけで耳に胼胝ができるほど、明治・大正・昭和期の流行歌がリアルタイムで再生され、空気のように浸かっていたこれらの音曲を(子供時代の刷り込みというのは恐ろしいもので今でも諳んじて歌える自分の記憶力が怖い)、取り立てて聞こうとも思わなかったが、昨秋初めて知ったタブレット純氏のライブに出掛けたりして、改めて聴き直すと、タイムマシンがなくとも耳からの記憶の断片が現出させる、かつて在った時代の空気が肌にまとわりつき、蘇る世界の錯覚が恐ろしい。

 歴史上の過去の遺物を聴いたことがない若い世代が、昭和歌謡に対して持つ一種の郷愁的な憧憬でもって、リバイバルブームが起きているようでもあるのだが、翻って、現在の日本には、人生の機微、心の琴線にふれる魅力的な音曲が無い、と言えるのかもしれない。

 高畠華宵の美女・ふたうら環女史が口から出たセリフ「プロってのはね、たとえ子供が死にそうになっていても舞台に立つ人間のことを言うの」…ううむ、うら若き女性はいつでも、選択を迫られる人生の岐路に立っているのですねぇ…
 
 思えば私が鬼畜となって家を出たきっかけとなった本は、木々高太郎『人生の阿呆』創元推理文庫でありました。
 医学博士でもあった木々高太郎は、理知性を軸とする推理小説に、人間の本能である感情、人間性をも眼目として、一つの小説として共存させ得るか…という実験作だと、言っていたように記憶している(1997年に知人に貸して帰ってこなかったので今手元にないのです。それ以来私は大切な本は人に貸しません…体験というのは優れた人生の教師ですね…)。
 この作品は、昭和11年、第4回直木賞を受賞している。

 新青年に代表される戦前の推理・探偵小説を心の糧としていた10代を経て、世間知らずのままな20代半ばに、復刊されたこの本を読んだ私には強烈だった。戦争へ突入せんとする世相、選択肢がないところで自分の生き方を模索する女性の覚悟、社会の厳然たる価値観、道義的問題と、個人の生き方の折り合いのつけ方などなど…

 そういえば、あの本はまだ市中に出回っているのだろうか…と、ふと思って、10年ほど前に探してみたら品切れという、絶版状態になっていた。とはいえ、もう一度読み返したいかというとそうでもなく(その当時自分が置かれた状況を克明に思い起こすには荷が重すぎて)、若い時分には心を遊ばせる空想の世界はこの上もなく大切なものだったけれど、今の私にはもう、フィクションの世界は必要ないのだった。

 そしてまた、ここ3週間ほど愉快に見てきた朝ドラであったが、脈絡なく強烈なインプレッションを与える場面ばかりで連続していく、雰囲気だけで流れていく短絡的なストーリーテリングに、小学生のころ祖母と見ていた鳩子の海や雲のじゅうたん、藍より青く…などの番組とはずいぶん趣きを異にしていることに気がついた。
 やはりこれは、小説ではなくマンガである。大袈裟な感情表現を見どころとした手軽なドラマが、子供たちではなく大人を対象にした、巷間を賑わす世相というものをどう考えたらよいのだろう。時代背景や思想、風俗の掘り下げがなく、表面的な、上っ面ばかりの絵面に終始するので、ことにシリアスなシーンになるほど現実味がない。

 台本はさておき、昭和バブル期に至る潤沢で、あの異常なまでの贅沢な文化投資の時代を過ごしてきた目には、貧弱な(つまり手が込んでいない)セットや美術(たとえ脚本や配役がポカ~ンとするものであっても、映像ドラマはその世界を構築する優秀な美術さえあれば成り立つのである)から展開される虚構世界はどうにも見ごたえがなく、特に売れっ子となった作曲家が故郷に錦を飾るべき祝賀会会場がこれでは…和室、日本間の大広間における宴会というもののありようを知らない世代の方々が作るとこうなるのかなぁ…さて、考証を一生懸命やっても実現させる予算がないということなのだろうか…

 と、気休めに見るドラマにこちらが気を揉むという面倒な仕儀に相成り(そういえば、何年か前の朝ドラ、花子とアンだったか…柳沢白蓮の衣装が付け下げかと思われる地味な着物ばかりだったので、眼福というものがないテレビドラマは、はて、娯楽として見る価値があるのか、などと思ったりもしたのだったが)…日本が凋落した令和時代となった2020年に制作されたドラマに、注文を付けるのは憚られるけれども。

 昭和40~50年前半の、お昼時の奥様劇場、いわゆるソープオペラは内容が濃かった(あくまで子供目線であるけれども)。原作を古今東西の名作全集にラインアップされる文学作品に取材し、さらにご当地ドラマとして翻案し、日本が舞台となった風と共に去りぬ、ジェーン・エアなど、本タイトルは忘れてしまったが、茶の間でお祖母ちゃんと見ていた記憶がある。

 そういえば、1960年代後半だったろうか、高度経済成長に伴い、戦争で失われた文化・教養の穴埋めか、百科事典や文学全集、クラッシック名曲集、世界の音楽(各国の民謡、ラテンやジャズ、イージーリスニングなどの)スタンダードナンバー、映画音楽全集のレコードなどを装備していた一般家庭が多かった。
 手塚治虫の漫画家の心得を説いた本だったか、萩尾望都のマンガABCだったろうか…物語をつくる人になるには、いろいろなことを知らなくてはならない…という偉人たちの玉条を実践するには、よい環境の時代だった。
 数年前…もう10年程にもなるのか、書店で竹内洋著『教養主義の没落』という新刊本を見掛け、21世紀を迎えてからの自分の心境を明文化した書籍が、すかさず、刊行されているものだなぁ…と感心して久しぶりに中公新書を手にしたのだった。



 さて、先月…先々月だったか、四つ葉のクローバーを地下茎ごとお土産に頂いたので、しばらく瀬戸焼のお皿にのせて観賞していたのだが、緑の蕾だったシロツメクサの白い花まで咲いてきたので、ふと、植木鉢のレモンの下草に植えてみた。
 なんと、根付いて新芽が出たのである。
 しかも不思議なことに、初めに出てきた三つ葉は長ずるに及び二つ葉になってしまったのである。四つ葉を生じさせたがための、地下茎自身の帳尻合わせなのであろうか…2番目以降の新芽は普通の三つ葉のクローバーなのだ。まったくもって、大自然の驚異。
 世にも奇妙な怪奇大作戦の世界である。
 今朝見たら、また新たな新芽が出てきたようなので、次なる葉は何枚か、しばらく観察を続けたいと思う。乞う、続報を待たれたし。

 加えて、これまで2シーズンにわたり、律義に結実してきたレモンの一本の幹からベッコウ飴状の樹液が流れ出していることに気がついた。はて、檸檬の樹からメープルシロップが採れるわけでもあるまいに面妖な…と思って調べてみたら、どうやら樹脂病という病らしいのだ。
 昨夏には20頭ほども、主の酔狂に付き合って青虫を養ってくれた檸檬樹だったが、過ぎたるは猶及ばざるが如し、ただただ申し訳なく…去年の今頃は、昼夜を分かたず、シャクシャクいう葉蝕む音で賑やかだったのに…と往時を偲ぶ心持ちさえして、憂鬱な晩春となりにけり。



 とはいえ、禍福は糾える縄の如し…城達也のジェットストリームを1世紀振りに聴いて号泣したり、夕暮れ時に爽風に吹かれながら、キャノンボール・アダレイのボサノバ集に耳を傾けたりしているうちに、元気になって参りました。
 3月中旬から4月、5月…と、お休みしていたお稽古をそろそろ再開したいと思います。
 皆さま、ご無沙汰して申し訳ないことでございます。
 支障のない方はご連絡くださいませ。お待ちしております。

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