オットの実家の画集を眺めていました。
ダリ。
ワタシはシュールレアリズムは
好んで観ることがあまりないので、
時間を掛けて、丹念に観ていた。

耳元で大声で叫ばれているのに、
何を言っているのかよく分からない。
そういう感覚は相変わらず。
それでも、美術館ではないので、
思う存分 立ち止まって考えられる。


やはり、思想の詰まった絵は、
自由な妄想の余地がなく
息苦しい。
ダリの心が見ている景色なのだから
妄想の隙間がない。
そう感じて、ため息です。


その時、
オットが、感嘆の声をあげたので
外を見ると、信じられないほどの
大きな虹が掛かってました。
慌てて玄関を飛び出し
空を見渡すと、
まるっきり、画集の中に転げ落ちたような、荒々しい美しい空があった。


震えるような景色。
ここから、金に輝く夕映えまで、
首の皮が延びきるぐらい仰向いて眺めました。



ダリは 何に苦しんでたんだろう?
美しさにも、愛にも、
痛みを感じて、叫んでいるみたい。
若い頃はよくわからなかったけれど、
百年の半分生きたら
ちょこっとだけ、理解できるような気にもなる。


どんなに、平坦で平凡な人生だって、
満ち足りていたって、
思いがけない躓きや、
行き違いが待ち受けてる。
もがいたり、足掻いたり、
迷って、怒って、泣いて、叫んで
これ以上、無理。
と、
感じたって、
いつか、
新しい、
扉は開く。


虹の扉が開くところを見てしまった。

ワタシはたぶん、大丈夫。
まだ、面白いことを見つけて、
にこにこと、歩き出せる。
そう思ったんだよ。



まだ、迷うこともあるけど、
何処かにある、虹の扉をくぐる日まで
歩いていこうと、
思ったんさ。