26年前の朝、

何気なく付けたTVの画面を見ても

何が起きてるか 理解できなかった。

 

横倒しの 高速道路。

崩れて潰れた家の屋根。

黒煙を上げ立ち上がる火柱。

 

映画・・・?って、  思った。

でも、アナウンサーの言っている言葉が

脳に浸透していくにつれて

脚がガタガタなった。

 

 

あれから

何度も

人間に襲い掛かって来る自然。

私は TVの画面越しに

たくさんの涙を見た。

非力で勇気がない事を

恥ずかしく思った。

 

僅かな

出来る事を

出来る範囲でやることで

自分の中の罪悪感をチャラにしようとして

失敗した。

 

 

 

いつも感じてた。

私は 何も理解できない。

突然降りかかる災厄を かわせなかったひとたちの

悲しみも苦しみも

分かったふりしかできないんだ。

 

 

そして現在、じわじわと

縮まる輪っかの中心にいるように

新型コロナウィルスに取り囲まれてるような気がしても

まだ、

わが身に降りかかっていないから

やっぱり理解できてない。

 

 

どこか壊れているから

人の苦しみに

共感できないのかな。

 

 

 

毎年、黙禱することができない。

嘘をついていると思うから。

悼み悲しむ心が 私には足りないと感じる。

 

 

 

 

去年、

友人を亡くし、

張り裂けそうな胸の痛みを感じたと思ったのに

私は たくさん笑っているし

ご飯も 美味しい美味しいと食べている。

 

 

あの悲しみは

こんなに簡単に癒えるものなのか。

私の心は壊れてて

本気で 悲しめないのかもしれない・・・。

などと思っているのです。

 

 

画面の向こうで

26年たっても、あふれる思いをぬぐうことも出来ず

うつむく人たちを見て

 

 

わが身に降りかかった時

この涙を 思い起こすだろうかと

ぼんやり考えるだけ。