先日 ゆったりセラピーの創始者で私の講師である鎌田麻莉さんのズーム講義を見ていたとき

麻莉さんがいった

「脳の無い生物は居るが皮膚のない生き物は居ない」

の1行に深く頷いた。

確かに脳組織のない原生的な生物にも
皮膚組織なるものは必ずあるはずであり

太古 皮膚組織と言う存在が
原始の海と体内を分けて
生命が発生したとか聞いたことがある。


皮膚は人間が自由に手で触れる唯一の細胞の集まりであり
最大の感覚器官であり防衛組織である。


私達は最初は一つの小さな胚芽細胞で
そこに最初の割れ目が出来て生命の形を成していく存在。

その時割れた中身はどんどん文化進化していくなかで
皮膚はきっと皮膚のまま成長して
感覚と防衛を知らずに世界に生まれて
成長と共に色んな感覚を細胞ととして感じて
皮膚として共に存在していくのだろう。

ゆったりセラピーはその皮膚に
ゆっくりと触れ
ゆったりと寄りかかり
皮膚表面だけではなく
筋肉 骨 付着点 関節にまで
自分と言う存在と
触れているセラピストの二つを
響かせるように刺激が拡がっていく。


皮膚を通した自分と
その向こうの相手。

力を入れないで触れた手のひらの向こうの皮膚は
私達人間は
同じでありしかし違う存在だと伝えてくれる。

多分 世界に生まれた子供の皮膚も
親から他人から
手という皮膚を通して
自分の皮膚から愛や痛みを感じて育つんだろう。





昨日父がモカを散歩させて転び、補聴器を無くした。
前から行かないでと言っても
さっさとリードを繋いで出て行ってしまう。

私も自分でやりたいのならと目をつぶっていたが
今回の転倒で父は懲りたらしく、今日は散歩には行かなかった。

と言っても日が経つと記憶が曖昧にまたは忘れる父だから
3日後一週間後の事はわからないだろう。
退屈してまたモカを散歩させるかもしれない。


一見しっかりしてるように見える父も
母より早く少し前 1年とか半年とか前のことは忘れていた。

そもそも私が幼い頃出稼ぎに行っていた父を
自分の父親と認識したのは一体何時だったのか。

おそらく 小二の時妹が事故で亡くなった後此方で働くようになったのだと記憶している。

聞けば良いんだろうけど

正直 私は両親に皮膚感覚では親近感が無い。

似てるし親だと思うし
これから面倒を見なくてはと言う自覚はあるが
この人達に寄り添って…とか
話を聞いてあげて…と言う
介護や支援には必要不可欠な姿勢が

自分の中にものすごく薄いと思う。

この先私は彼等に触れることが出来るか
身体的に必要な介護出来るか
と思わないでも無い。

この歳になっても仲の良い親子ってイメージは私の中にはなかった。

自分の子供の時の記憶としては
親はよく知らない他人行儀な大人か
または叱られるかけなされるかの存在だった。

本人達の記憶は多分違うかもしれないけど(笑)
私は甘えたいとか愉しいとか
そう言う感情や皮膚感覚を
彼等と一緒に居るときは持たずに成長した。

まあ基本私が一冊の本 1枚のチラシがあれば
何も不満のない子供だったから
大人の子守りが要らないからだったけど。



「お母さんて暴言とか言わない?」
母を知る人から先日言われた言葉。
ネットをちょっと見れば進行すれば母にも可能性のあることだった。

今はまだ私の前では穏やかに振る舞う母が
私の見えないところでは暴力をモカや夫に振るっている父が

これから私の前で抑えられない感情を
暴発させる時が来るかもしれない。
またはその逆もあるかもしれない。

そう思うと私の憂鬱はどくりと心の奥底から
皮膚を通して首をもたげる。

杞憂だと思いつつも
心の中が冷たくなるのを感じずに居られない。

秒速で私は
前にも後ろにも味方は居なくなる
と勝手に思ってしまう。

そんな時は
↑のブログを読むつもりです。

私とは
私を創っている一つ一つの細胞に他ならない。


たった一つの細胞から
一人の人間になった自分を生んだ両親。

両親の面倒をこの先何年見れば
自由になるんだろうという
根拠のない恐怖。

でも今はこうしてブログ書いてるんだもの
大丈夫
きっと何とかなる。

一人の人間の中の細胞(時間 感情 縁)を
もっと信用して大切にしていこう。

配偶者も子供も
そして親もその次で良いことにして。

私にとって私の人生より大事な物は無いから。


ケ太郎様に色塗り~😅