「FREETIME SHOWTIME~君の輝く夜に。」

 

私は20代前半地元で素人演劇を行っていた。

所属していた地元のボランティア団体が年に一回芝居や踊りを市民に見せる機会があって、その波及から演劇が独り立ちしてコンクールに参加するほどになっていた。

私はその脚本 監督 背景 小道具など全部の総括をしていたけど、ある日の飲み会で次回何を創ろうかいう話題になり、そこで出た話が「カラオケでミュージカル」という事だった。

カラオケで好きな歌をセリフの代わりに歌い、お芝居にしたら楽しいのでは?

発想はシンプルだったが、その分分かり易く参加者全員がのりのりだった。

私は当時好きだったのがブレイク前の米米クラブの「浪漫飛行」と岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」だった。

それを歌えるような物語・・を創るのは得意である(笑)

後年大ヒットした「浪漫飛行」はまだ知る人ぞ知るアルバムの収録曲で店のカラオケが無く、機械的な処理でそれっぽいものを作っての製作だった。

歌の部分では踊りさえ振り付けして踊っていた。

舞台は地元で結構な評判を呼び市の文化祭でお披露目して、無謀にも初めて県の演劇コンクールなるものに参加して、斬新さを褒められたという記憶がある。

芝居の経験がほぼない会員が演技をして、同じく芝居をろくに見たことが無い脚本と演出でよくやったもんだなあと今思うとうすら寒いw

でも当時は私も皆も一生懸命でいいものを作りたかった。

私の大好きな「浪漫飛行」と「夢をあきらめないで」を舞台の上の物語の中で、最高にキラキラさせたかった。

 

 

「吾郎君のミュージカル」

言葉は簡単だけど、それを発想して実現してくれた方々の心を、私は一生忘れないだろう。

私が元々吾郎さんのビジュアルに惹かれてファンだったけど、でも「未来の瞳」のナレーションやアルバム曲で聞く彼の声の質に根こそぎ心を持っていかれた。

木村君が「エンジェルボイス」を銘打っていたと後日聞いたけど、野郎の声にその肩書がしっくりする歌声だったり話声だったりする彼の声そのものが大好きだった。

「青いイナズマ」でシングル曲初めてのソロを歌った彼の声は、時間を経てから独特の手触りを持って私の元に届けられその姿と共に強い印象を持った。

後年 「&G」というソロで「Wonderfullife」と言う曲を発表したが、「5分の1と一人とではわけが違う」と言うようなことを言っていた記憶がある。

歌に関して吾郎さんが「苦手」とか「嫌い」とか言ったことはないが「得意だ」とか「好きだ」と強く声を上げて語ったこともないと思う。

NHK「プロフェッショナル」の中でも言っていたが、アイドルタレントととしてのコンプレックスとともに、やるべきこととして淡々と取り組んでいたのかなとも思う。

 

だからそんな吾郎さんを中心に「ミュージカル」を造ろうという鈴木さんの相談は、きっと当時はすごいカジュアルに始まったに違いない。

それはアイドルスターとして長年人に愛され人前に出続ける仕事をしてきたのに、すれてない品の良さと人間的な懐の深さを持つ吾郎さんを見ていたからこそのアイデアだったのだろう。


そして今はもういないけれど、その相談の一角を担ったであろうこのシリーズの歌を作り演奏してきたジャズピアニスト佐山雅弘さんの音楽は、役者であり歌手である稲垣吾郎の声質声量に合わせた曲を作ってくれていた。

その歌を歌う事は吾郎さんが自分の中本来の「歌い手」に、改めて目覚める過程だったのかもしれない。


その証拠に今の吾郎さんの声や息遣いは自由で深くて甘くて、昔彼に堕ちた時よりさらに心地よく心に迫ってくる。

そこに細すぎずふと過ぎないのに、男性らしいシルエットが目立つ吾郎さんのスタイルは、生の舞台の上でどれだけ魅力的でパワーに満ちているのか。

鈴木さん佐山さんらが、吾郎さんの既存の存在だけでない未開発の能力や魅力と底力に気づき、彼に歌い踊る場所を作ってくれたことを2015年2016年の出来事を経てより感謝しなくてはならないだろう。

 

生きていれば大好きなもの 好きなものは沢山ある。

そして人間が生きる中でその手でつかまえるものは多いようで少ない。

 

人生で初めてであった演技と言うものを

「芝居が上手い」と言われたために

中学時代部活もしなかった吾郎さんが、そのころから今まで続けることが出来た芸能活動は、本当に好きだから場所や肩書を変えてもこうして花のようにかぐわしい香りを持って咲き続けているのだと思う。

 

今回ファンからの花は会場には飾られてはいないが、舞台を観劇する人達は皆一様に笑顔で開幕を待ち閉幕を惜しみながら帰る姿が正に花束の代わりなのだと思った。

 

役者さんが自分が創った楽曲を歌い演じ、そして観客がショーを楽しむ姿を先に逝ってしまった佐山さんは、幸せそうにリズムを刻みながらどこかで見ているのかもしれない。

吾郎さんたち始めこの時間の関係者すべてまた流れる歌の中に常に彼は存在するのだから。

 

歌は短い芝居であり

芝居は長い歌である。

その世界を自由に行ったり来たり出来るものがその世界で

人々から歌と芝居への愛情と言う目に見えない報酬を受け取る。

 

今回も俳優稲垣吾郎は誰にも比べられないキャリアと個性で

正に舞台の上で大輪の花と咲いていた。


鈴木さん達のあの日の相談は正に形となって実現したのだ。

私達が酒席で話した戯れ言のような企画が芝居になりコンクールにまで参加したように。


だから是非とも叶えたい夢は他の誰かと約束と相談をしよう。

鈴木さんや昔の私のように。

私はこれを描いていて強くそう思った。