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ラヂオ惑星モルファス

表現の自由について

「あいちトリエンナーレ2019」に対する文化庁の補助金が、補助事業として採択されたのちに不交付とされました。(余談ですが、萩生田大臣の人となりにつては、2018年3月9日号の週刊ポスト誌で評論家の有馬晴海氏は「萩生田氏は安倍首相が白いといえば黒でも白というほど忠誠心が厚い。」と評していますが、これまでの発言などを見てみると相当の保守派だなという印象です。本音の部分で、自らの思想と異なるから補助金不交付の決定がなされたのではないように祈ります。)また、ニュースでも、トリエンナーレの芸術祭実行委員会に届いた脅迫電話などの録音が放送されました。政治情勢が分かっていないのか・・・という電話もありました。

私の感想は、ああ、これでは、日本や日本国民は韓国や韓国国民の了見の狭さや反日の物差しでしかものを見られない偏見、韓国政府の反日世論誘導などを批判する権利を失ったな・・・というものでした。
右翼的な思想も左翼的な思想も持つことは個人の良心の自由に属することですし、犯罪に及ばない限りどのような思想を発表することも「表現の自由」として保護されていることを理解すべきです。
すなわち、自分の考えは正しいと主張することは自由ですが、他の人も同じように考えており「貴方の考えは間違っている」と主張することも当然ありうることです。人が100人いれば思想も事柄の受け止め方も100通りあるわけで、それぞれが異なる考えを持っていることを認容することで、自分もまた保護されていることに気付くべきでしょう。つまり、他人を圧殺しようとする人は、自分もまた圧殺される存在なのだということです。

たとえ自分の考え方とは対立するものであっても、あるいは不快に感じるものであっても、それを認容する「度量の深さこそが日本であり日本人である!」ことを示す絶好の機会を失いました。日本は韓国と同じように了見の狭い人がリードしているんだということになってしまいました。レーダー照射の問題の時は、多少なりとも日本に度量のあるところも垣間見えたのですが・・・。

日本の教育で最も不足していること・・・自分自身の力で考えること、自分以外の人が異なる考え方を持っていることを理解すること、そうした様々な考え方を持つ人を互いに尊重すること・・・が民主主義の基本であることを「考えさせる」こと。
日本は「非国民」と叫ぶような人たちが充満する国家・・・個を圧殺する全体主義国家(戦前の日本、スターリン主義ソビエト連邦など)・・・への道を歩んでいるように感じます。

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