散文的で抒情的な、わたくしの意見

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大河ドラマにおける織田信長・麒麟がくる・国盗り物語

2019年06月19日 | 麒麟がくる
織田信長という武将に興味を持ったのは大昔、小学生のころのことです。「国盗り物語」を読み込みました。たぶん大河「国盗り物語」の放送と同時に読んでいたんだと思います。叡山焼き討ちの場面で「光秀、仏像とは、木とかねで作ったものぞ」という場面などをよく覚えています。

むろん大河も見ましたが、なにせ大昔なのでよく覚えていません。DVDの時代になって、総集編がでて、それでしっかり見直しました。しかし当時はビデオテープを使いまわしていたため、総集編しか残っていません。各話の断片でも覚えているかと言われれば、全く覚えていません。

しかしとりあえずはあの信長。高橋英樹さんの信長と、松坂慶子さんの帰蝶がわたしの中での「基準」となりました。カッコ良かったですね。信長も光秀も。

その後信長は「黄金の日々」に登場します。ただし主役でもなく、比較的早く本能寺となります。信長を狙撃した杉谷善住坊が鋸引きで死んでいくシーンが衝撃的でした。「おんな太閤記」の信長は全く覚えていません。その後1983年に「徳川家康」、役所広司さんです。これも覚えていない。DVDになってからは通しで見ました。

役所さんの信長はほぼ「ご存知の」といった感じです。役所さんも若いから「勢い」がありました。やたらと元気です。徳川家康が聖人君子なので余計に「元気な少年」のように見えました。ちなみに信康自害を強く命令したのは信長ということになっています。家康は「信長に命じられたからではない。わたしの判断で処分する」とか言って信康に切腹を命じます。あまりに聖人君子なので、辻褄が合わない部分も多くあります。

次は「武田信玄」でしょうか。脇役でした。桶狭間の奇襲が成功したのは「武田信玄の陰謀」ってことになってました。

次が「信長」。なんか変な作品で、人物の口調が全部同じでした。ここから「信長の自己神格化」が描かれるようになります。新しい信長像なのかも知れませんが、あれなんか変だなという印象の方が強くしました。加納随天だけが、少し違う口調で、あれは面白い設定でした。

その後が「秀吉」なんでしょうが、渡さんの信長はなんというか「普通」でした。次が「利家とまつ」の反町さん。「であるか」ばかり連発してました。

で「功名が辻」、七割は司馬さんの信長ですが、自己神格化はさらにデフォルメされていました、「もはや朝廷もいらぬ」とまで言っていました。

で「天地人」「軍師官兵衛」

そして「真田丸」と「直虎」、、、直虎の信長は「漫画みたいな魔王」でした。真田丸は五分も登場しただろうか。それでも魔王そのものでした。

麒麟がくるでは久々の「主役並み」でしょう。そうなると比叡山や一向一揆の殲滅で「虐殺ばかりしている」とまずいわけです。それで「保守的な信長」ということになっています。

朝廷も幕府も大事にするそうです。歴史学会の「流行」、あえて流行と書きますが、保守的な面だけ「切り取れば」、そりゃ保守的な像を作ることは簡単です。反論しているのは今の所本郷さんぐらいですが、この後「揺り返し」がくるでしょう。金子さんや藤田さんの説はご都合主義で「最初に結論ありき」です。

「太平記」では「尊王の足利尊氏」が描かれました。脚本は池端俊策さんで「麒麟がくる」も同じです。後醍醐との関係で「迷ってばかりの尊氏」でした。

足利尊氏は戦前は最大の逆臣でしたから、意図は分かります。信長は別に最大の逆臣ではないですが、尊王にされちゃうみたいです。

時代に媚びるという感じですが、学会の「流行」という後ろ盾があるので、納得する人も多いのでしょう。

それでも古い信長ファンは「あんなの信長じゃない」と思うでしょう。すると史実だという反論が起きますが、史実じゃないし、別に大河は史実を描いてはきませんでした。

保守性と革新性は「どの人間も持っていること」で、しかし信長公記などを読むと「やっぱり信長は革新寄り」です。保守的な側面だけを取りあげ、また「手紙」(手紙はタテマエが多い)などを証拠として「本当の信長は保守的だったのだ」と言われても、あれだけ人を虐殺した人間を「普通の人だ」と言われても、納得できません。

大蛇がいないことを確認するために、池の水をほぼ全てくみあげさせたり、親父の位牌に抹香を投げつける(両方とも信長公記に記載あり)人間が、オトナになったからと言って急に守旧派になるとは、到底思えません。


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