超天才だとか、理論物理学の良心とか、ちょっと讃えられ過ぎだと思うねw
そう思う根拠は、ナニも彼がユングの患者だというよーな偏見からではなく、我欲が強くてワガママそ~な顔つきによる、って、なおさら偏見かもね。というか、彼の奥さんが不倫女だったことからくる、ま、言うならば悩みが、言ってしまえば自業自得だというよーな実情による話であるワケだよ。まあ、パウリの禁制律だね、そこからスピンの発見、ま、イーんだけど、だけど過剰評価だと思うね、そ、ホーキングの宇宙検閲過程みたいなモノじゃないとこっちは困るワケですのや。
宇宙検閲過程にも関わらずブラックホールの裸の特異点は存在しているらしい、しw
だから、というのではないが、パウリの禁制律に関わらず同一量子状態のフェルミオンは二個は存在しているのではないか、と疑われるワケですのや。演繹論理や数学的証明ではナシに、群盲の一人として象を撫でまわしての発見という、まるで暗中模索の結実だということでもある、し。よく言えば真に科学的思考、で、悪く言えば推理探偵みたいでちょっと俗っぽいというのが、ニュートリノ仮説を含めてのパウリの特徴だからですがな。
オービタルこそはパウリの禁制律の反例の一種だ!
いや、スピンによって弁別されていると思うかもワカラナイが、そのスピン量子数が二つともR+Lであってみればまた、なにをかいわんや、である。オービタルの内側では両者のスピンは同一だということになっとるのや、なっとりますで、ええ、そうですとも。ちょっと苦しく思われるかもシレナイが、クォークの封じ込めの場合、三重項で蓋をされたという蓋然性からしたら韓=南部模型は成立しているよーに思われてならない、ですのや。セイムスピンオービタル内では二つのクォークがR+Gになっとれば宜しい。
オービタルで反例だ、というのは俗才にはわかるまいw
パウリの禁制律は「フェルミオンは同一状態に二つまで入ることが許される」と書き直されるべきですのや、そうでっしゃろ、そうですがな。偏見による人物批評を交えながらで、エライ悪いが、ま、直言でもあり、そこのところはちょっとばかし許してもらいたいように思います。でー、ユニバーサルフロンティア理論は高度な数学こそアリマセンが、使っておる手段は論理的演繹を主とした論証ですのや、純度が高いンでっせ。
ゲージ原理でさらにパウリを評価する向きもありますけど、ねw
ご承知の通りに私には言い分がございまして、何でもゲージ場という過ぎたる一般化は高度な数学による場合であっても、いや、それ故にに近く、むしろかえって安直であり俗受けのする発想だということ。湯川論理などによって「強い相互作用は非ゲージ場である可能性が高い」といった冷静な見直しが必要だったということから、ゲージ原理の拡張にはいま少し慎重な態度が必要だったという話、ですのや。
(乱筆多謝)
そう思う根拠は、ナニも彼がユングの患者だというよーな偏見からではなく、我欲が強くてワガママそ~な顔つきによる、って、なおさら偏見かもね。というか、彼の奥さんが不倫女だったことからくる、ま、言うならば悩みが、言ってしまえば自業自得だというよーな実情による話であるワケだよ。まあ、パウリの禁制律だね、そこからスピンの発見、ま、イーんだけど、だけど過剰評価だと思うね、そ、ホーキングの宇宙検閲過程みたいなモノじゃないとこっちは困るワケですのや。
宇宙検閲過程にも関わらずブラックホールの裸の特異点は存在しているらしい、しw
だから、というのではないが、パウリの禁制律に関わらず同一量子状態のフェルミオンは二個は存在しているのではないか、と疑われるワケですのや。演繹論理や数学的証明ではナシに、群盲の一人として象を撫でまわしての発見という、まるで暗中模索の結実だということでもある、し。よく言えば真に科学的思考、で、悪く言えば推理探偵みたいでちょっと俗っぽいというのが、ニュートリノ仮説を含めてのパウリの特徴だからですがな。
オービタルこそはパウリの禁制律の反例の一種だ!
いや、スピンによって弁別されていると思うかもワカラナイが、そのスピン量子数が二つともR+Lであってみればまた、なにをかいわんや、である。オービタルの内側では両者のスピンは同一だということになっとるのや、なっとりますで、ええ、そうですとも。ちょっと苦しく思われるかもシレナイが、クォークの封じ込めの場合、三重項で蓋をされたという蓋然性からしたら韓=南部模型は成立しているよーに思われてならない、ですのや。セイムスピンオービタル内では二つのクォークがR+Gになっとれば宜しい。
オービタルで反例だ、というのは俗才にはわかるまいw
パウリの禁制律は「フェルミオンは同一状態に二つまで入ることが許される」と書き直されるべきですのや、そうでっしゃろ、そうですがな。偏見による人物批評を交えながらで、エライ悪いが、ま、直言でもあり、そこのところはちょっとばかし許してもらいたいように思います。でー、ユニバーサルフロンティア理論は高度な数学こそアリマセンが、使っておる手段は論理的演繹を主とした論証ですのや、純度が高いンでっせ。
ゲージ原理でさらにパウリを評価する向きもありますけど、ねw
ご承知の通りに私には言い分がございまして、何でもゲージ場という過ぎたる一般化は高度な数学による場合であっても、いや、それ故にに近く、むしろかえって安直であり俗受けのする発想だということ。湯川論理などによって「強い相互作用は非ゲージ場である可能性が高い」といった冷静な見直しが必要だったということから、ゲージ原理の拡張にはいま少し慎重な態度が必要だったという話、ですのや。
(乱筆多謝)