第六運(55歳~64歳)最後の出来事 | 紫微斗数(星曜派 四化飛星 欽天四化) 宮立命/宮巫女 Miya_ritumei/Miya_miko

紫微斗数(星曜派 四化飛星 欽天四化) 宮立命/宮巫女 Miya_ritumei/Miya_miko

■大人の発達障害に対応■
社会に出てから何故か巧くいかない。職場で浮いてしまい馴染めない。皆んなと同じように出来ない。何故か周囲から嫌な思いをさせられる。こんな経験はありませんか?

お気軽にご相談ください。

■第六運(55歳~64歳)最後の出来事

(アクシデント続出)

 

 

第六運の前回までの記事

https://ameblo.jp/miya-ritumei/entry-12582661047.html

 

 

コロナウィルスですっかりブログの更新が停滞してしまいました。

感染爆発も一段落してきましたので続きを書きます。

今回は以下のような最後の出来事です。

■知的障害支援施設で働く

(運転手が支援員の仕事に配属)

 

トラックの配送の仕事が「中国製毒入り餃子事件」ですっかり暇になってしまい、収入も激減して困り果てました。

「中国製毒入り餃子」とは、当時日本の大手食品会社が中国に依頼して製造していたレトルト食品の中に製造過程で「反日思想」の従業員が農薬を混入させた事件です。

この時期には反日思想が多く、類似の事件が多発しました。しかし、これに懲りずに日本の多くの企業は中国依存を深めていきました。日本国内でこれを食べた子供の死亡者が出たり中毒被害が多く出ました。私もその一人でしたが。

 

 

毒入り餃子の事件を受けてスーパーマーケットでは売り上げが激減しました。

私も仕事が無くなり大型車の運転の仕事を探していましたら、知的障害支援施設で送迎バスの運転手の募集がありました。

 

知的施設では朝夕の通所利用者さんの送迎を行い、日中は施設の営繕の仕事に就きました。

営繕の仕事は、施設内の清掃、設備の修理が主な仕事で、時折買い物に行かされることがあります。

しかし、送迎以外は日中の仕事が毎日決まっている訳では無いので、何をしたら良いのか困ることもありました。

そういう時は、自分で仕事を探す訳です。たとえばガラス拭き、草取りなど。

最初はそんなことをして日にちが過ぎました。

しかし、3カ月もすると人材不足の支援員の仕事を手伝わされるようになりました。

それは、利用者さんの身の回りの世話と見守りです。

見守りというのは、利用者さんは不意に何処かに行ってしまったり、想定外の行動をして事故になったりするのを防ぐための見守りです。施設ではこれを「利用者の把握」と言っていました。

 

利用者さんには就学前の幼時から小学生、中高校生、成人、老人まで幅広い年齢層が施設ごとに分かれて入所、あるいは通所しています。

 

利用者さんの障害の程度は様々で重度の人は、言葉が理解できない、物事の意味も理解できない人も居ます。

重度の障害の場合は、支援員との意思疎通が出来ません。

 

身体障害でしたら重度でも精神は正常です。

しかし、知的障害の場合の重度でしたら、身体は健全で感情は有るけれど、人としての判断が出来なくなっています。お腹が空けば草でも食べてしまいます。洗剤でも飲んでしまいます。言葉が通じないので行動を強制的に制止するか、危ないものを置かない、安全を管理できる閉鎖的な空間に居住されるといったことなのです。

 

4~5歳の幼時から80歳代までの障害者の人が入所していました。

この中で小学生、中学生、高校生を施設から養護学校(支援学校)まで朝夕の送迎をします。

通所の利用者さんは就労支援と特別重度の利用者さんを朝夕に送迎をします。

そして日中は雑用と利用者さんの支援です。

 

私は入社半年後には正式に支援員の職員となり、各施設を回りました。

最終的には「就労支援」に就きまして、様々な作業の指導を行いました。

特に代表的な作業は農業の仕事、古紙回収の仕事でした。

いずれも肉体労働で大変でした。それは指導と云っても、利用者さんは健常者のように普通の作業が出来ません。しかし、成果は上げなければ成りません。そのため職員がすべて仕上げをするのです。利用者さんが帰った後でも残業になることが多々ありました。

数年間務めて身体を痛めて退職しました。

どこの施設もこうとは限りません。たまたま私の働いた施設がこうだったのでしょう。

 

この施設に居て学んだことは多かったです。

支援員になってからは毎月、知的障害や精神科に関する研修があります。

その研修で学んだことで衝撃的だったことは、今の医学では知的障害や精神障害の原因が解明されていないということでした。

そのために治療といっても薬などを使う対処療法しか出来ないという事です。

そう学んだ時には、この子らは原因を根本から治すことは出来なく、一生涯を支援に頼って生きて行くしかないのか、と悲しくなってしまいました。

年寄りは障害があっても、そう永くない日にあの世に帰るからまだマシです。

でも、まだ5歳の子供が不自由な長い一生を今から送って行かなければ成りません。治る見込みのない障害で。家族も辛いでしょう。

 

そういえば、入所している障害者の家族で家族が面会に来ない場合も少なく無いのです。

子供を施設に入れたら両親は行方不明という場合も有るのです。親に捨てられてしまう障害者の人も居るのです。

このような世界が有るとは、外の世界にのんのんと生きて居たら知る由もなかったのです。まあこういう事を知らない人が多いと思います。

 

 

次回のお話

■老人介護施設で働く

 

(猛烈なパワハラに遭う)

■運命を変える出会

(第七運への転換の女性)