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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

仏教はその本末について聞かなければ判らないのです

2020年11月29日 | 仏教・親鸞聖人

 仏教はその本末について聞かなければ判らないのです

親鸞聖人は正信偈に詳しく書いて居られます、大宇宙には沢山の仏様や菩薩や神がおられその先生である本師本仏が阿弥陀如来です。阿弥陀如来の前身は法蔵菩薩です、法蔵菩薩であったときに師の世自在王仏に私がほとけになる為の本願を【全ての人間を絶対の幸福に救う】と言う大願を建てたいので許可を申し出た処、世自在王仏は『今までこの願を申し出た菩薩が沢山あるが全て失敗して苦労のみが残って居るので人間の様な悪しか出来ないものを救うと言う大本願は苦労するだけで失敗するだけであるから許可できない』と再三断られた、法蔵菩薩は『人間が諸仏から見捨てられた哀れな者達である事を知っているのでどうか私にさせて下さい』と頼まれた。『それだけ言うならやって見ろ』と許可が出た。この押しの強さ法蔵菩薩の願心によって真実の人は惹かれるのです。

法蔵菩薩はこの本願が出来なければ仏の命を捨てると誓われて非常なご苦労の末に南無阿弥陀仏の六字の名号を完成されたのです。地球上に生まれられた釈尊はこの六字の名号一つを一生涯掛けて説いて行かれたのが仏教です。南無阿弥陀仏一つを教えるために釈迦の説法は7千余巻の経に纏められているがお釈迦様自身、『全てを語りつくすことは出来なかった』と仰っています、この六字の名号については次回に書きたいと思います。                END

 


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