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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

仏教の勧め【15】『念仏のみぞまことにておわします』念仏の解釈は

2020年08月06日 | 仏教・親鸞聖人

 仏教の勧め【15】『念仏のみぞまことにておわします』(嘆異抄)念仏の解釈

仏語では念仏とはただ両手を合わせてナムアミダブツと称える事ではありません、『念仏のみぞまことにておわします』『念仏信ずる人をみて』等々念仏とあるのは【念仏】=【阿弥陀仏の本願】=【本願】=【本願名号】=【本願念仏】=【信心決定】・【念仏者】=【絶対の幸福になった人】=【本願を阿弥陀仏から戴いた人】

『火宅無上の世界は、皆もって空事・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在(オワ)します』(嘆異抄)人生は火のついた家に住んでいる様なものだと私たちの人生を見抜いて居られるのです、何が起こるか判らない【無常の世界】に住んでいるからです、私達は日々の生活でお金や財産・家族や健康等色々なものを頼りにしています、しかしこれらは、何れも『続かない』ものです、どんな幸せも、悲しい事に、手に入れた瞬間から崩壊に向かっています、今の幸せが此のままずっと続いて行くと思いがちですが、遅かれ早かれ、私から離れて行くものばかりです、この世のものは例外なく、本当に頼りになるものは一つもないという事です。すべて崩れる世の中で、崩れない幸せはあるのでしょうか。その答えを親鸞聖人は『ただ念仏のみぞまことにて在します』と仰っています。一切の滅びる中に滅びざる、まことあり『全ての人を必ず絶対の幸福に救う』と言う阿弥陀仏の本願のみが真実(まこと)であるとの教えです。

お釈迦様(ブッタ)が此の本願一つを伝えるために大変なご苦労をなさったのです、不可思議・不可称・不可説な弥陀の本願を伝えるために御苦労なさった法話が7千余巻のお経になって残されており、この経を何回も読破され日本で真の仏教を広められたのが親鸞聖人です、絶対の幸福になるには聞法一つと教えられて居ます。     合掌


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