ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今日は〝時の記念日〟

2019年06月10日 | 俳句

 今日は6月10日、「時の記念日」です。天智天皇の10年(671年)4月25日に、大津宮に初めて漏刻(ろうこく・水時計のこと)が設置されました。その日を新暦に換算すると6月10日にあたるので、この日を記念して、大正9年(1920年)生活改善同盟会の発意により「時の記念日」としたということです。時間を尊重して生活を合理化し、生活改善を進めることを目的とした全国行事です。

 時の日の花鬱々と花時計(ときのひのはなうつうつとはなどけい)

 歳時記にあった下村ひろし氏の句です。わが俳誌「馬醉木」に掲載されたもののようですが、いつ頃の句か分かりません。しかし、この句どうなんでしょうね。「時の日」と「花時計」に加えて「花」の重複…普通だったらここまで重ねるとくどいと言われそう。

 でも、考えてみて下さい。どれを省くことができるかと。「時の日」を省けば代わりの季語が必要になります。普通「花」は桜のことなので季語になりますが、ここでは花時計の花ですから桜ではありません。ならば、花時計にふさわしい花、例えばパンジーとかがよく使われますが、これは春の季語になります。じゃあ夏の6月頃に咲いている花は?と考えると、サルビアとか松葉牡丹とか金盞花、マリーゴールドなど、いろいろあるでしょう。しかし、一種類の花だけでできている花時計はないでしょうから、なんだかその花だけがクローズアップされてしまいます。ここでは恐らく、それに使われている花はどれも「鬱々と」咲いていたんだと思いますから。そして、なぜそのような把握を作者がしたのか?それはきっと今日が「時の日」であったということが重要なことなのでしょう。そう考えていくと、どの語も省くわけにいかなくなりますよね。

 更に、この句を何度も読んでみて下さい。それぞれの語がお互いを邪魔することなく…いや、むしろリズミカルな感じになって、却ってその軽さの中に隠されている作者の物憂いこころまでも伝えているような気がしませんか。それは何かを背負って、咲く…即ち生きていくということなのかも。時を刻むということは、つまるところ〝命を刻む〟ことに他ならないのですからね。

 作者の下村ひろしについては、以前書いたことがありますので、詳しくは述べませんが、長崎生れで、終生長崎で活動した馬醉木の大先輩です。もうお分かりでしょう。長崎といえば原爆とは切っても切れない所。この句もそこで生きてきた彼の感慨であるということが。

 写真は、今日捥いだ今年の梅の実。他の梅の木には今年も殆ど実が生りませんでした。これは豊後梅で数は少ないのですが、その分大きな実が生りました。青いのを友人に1㎏ほどあげた残り。もう少し黄色くなるまで置いて梅ジャムでも作ろうかなと思っています。

 


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