ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

最後は〝仙台七夕まつり〟だよ!

2019年08月14日 | 俳句

 今日は台風10号の影響で、天気予報通り午後から雨になりましたが、まだ風は殆どありませんでした。それででしょうか、蒸し暑くて最高気温は33度とか。台風は明日の昼過ぎ宇部に最接近する見込みという。

 また、明日に予定されていた甲子園の宇部鴻城と明石商との対戦が16日に順延されました。さて、これは、幸か?不幸か?

 それでは東北四大祭りの最後、〝仙台七夕まつり〟にいきましょうか。

 三日目の夜はこの旅初めてのホテルでの夕食でした。いつも同じような会席料理だと飽きてしまうのですが、前2日間が弁当や自由食でまともな食事ではありませんでしたので、刺身や酢のもの、茶碗蒸しなど、会席の定番料理が美味しいねとみなで言いながら食べました。翌朝ホテルから30分ほどの〝仙台七夕まつり〟会場へバスで行って、2時間の自由行動です。

 〝七夕〟は、もちろん秋の季語、もともとは旧暦7月7日の行事で、五節句の一つです。現在は新暦の7月7日や月遅れの8月7日に行う所が多いですね。この行事は中国の牽牛・織女の伝説とそこから派生した乞巧奠(きこうでん)の行事が伝わり、日本の棚機(たなばた)つ女(め)の信仰と習合したものとされています。笹竹に詩や歌を書いた短冊形の色紙を吊るし、軒先や窓辺に立てて文字や裁縫の上達を祈ったり、その昔は願いの糸(五色の糸)を竹竿にかけて願いごとをしたといわれています。

  うれしさや七夕竹の中を行く       正岡子規

 ではここで仙台七夕まつりの歴史を少し…

 江戸時代の仙台藩主伊達政宗公が子女の技芸上達を願い七夕を奨励したといわれ、その頃から仙台城下には七夕が飾られました。約200年前の『参詣記』には、7月6日の夜に七夕が飾られ、翌朝広瀬川に流した様子が描かれているそうです。明治になり、新暦が採用された後も仙台七夕は旧暦の7月6日・7日に行われ、一月遅れの8月6日・7日に行われるようになったのは約100年前のこと。その後、関東大震災の不景気を乗り切るため商店街が連合で大売り出しを企画し、昭和3年「第1回全市七夕飾り付けコンクール」を開催すると、以後いろいろな工夫を凝らした豪華な装飾で見物人を楽しませるような観光化に移行していったんだそうです。しかし、戦時下での七夕は自粛され、昭和14年にとうとう「仙台七夕まつり」は中断されましたが、昭和21年に復興します。今ではいろいろな趣向を凝らした豪華絢爛の七夕飾りとなり、有名な東北三大まつりの一つとして、〝仙台七夕まつり〟は8月6日~8日まで開催されています。

 仙台の七夕飾りには、明治時代に完成したと言われる仙台固有の「七つ飾り」というのがあって、〝短冊・吹き流し・折鶴・投網・屑篭・巾着・紙衣〟が今も飾られているそうです…が、私ちっとも知りませんでした。紙衣は分かりましたよ。投網・屑篭・巾着には気がつかなかったなあ~ザンネン!

 では、写真をどうぞ。たくさんありすぎて大変でした。最後は、バスで仙台駅へ行き、12時44分発東北新幹線〝やまびこ〟で東京へ。

 


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2 コメント

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こんにちは (ミルク)
2019-08-15 15:04:03
東北4大祭りを、堪能されて楽しかったでしょうね~
仙台の七夕は、まったく動きがなく、秋田の動に対し静の祭りですが、豪華な飾りですね。
ただいま秋田は36度。外に出られません><
Unknown (ちわき)
2019-08-16 01:17:32
ミルクさん、こんばんは!
東北から帰って天気予報を見ると、そちらの方は雨だったりと、余りよくないように感じましたが…。
エッ、今日は36度ですか。そりゃたまりませんね。こちら台風で少しは涼しくなるかしら。
でも、大被害が出なくてよかった!

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