昨日は、本来なら〝台風一過〟の見事な青空が見えてもいいのに、なんとも雲の多いどんよりした天気。僅かに青空があるものの、なんと心許ない色だこと!湿度も高くって…台風後のさっぱり感が大好きなのに、ザンネン!
〝台風〟は秋の季語。その昔は〝野分〟(のわき)といって、やはり秋の季語になっています。
颱風の波まのあたり室戸岬 高浜年尾
丹波路やまだ夜を翔ける野分雲 飯田蛇笏
「室戸岬」は高知県、「丹波路」は兵庫県から京都府への道…とすれば今回の台風10号の進路に当たりますので、さしづめこのような感じだったのでしょうね。
私は、午後から俳句教室でしたので会場へ。兼題は「残暑」、立秋が過ぎてもなお残る暑さをいいますから、初秋の季語です。
伶人のやどりにのこる暑さかな 与謝蕪村
ちょっときわどい句だと、私は思いました。なぜって?それは〈のこる暑さ〉が、〈のこる〉と〈暑さ〉を切り離しても考えられるからです。分けて考えれば、これは「暑さ」が季語となって、夏の句になりますからね。そこで気になるのは「伶人」の意味でしょう。これが分らなければ解釈も鑑賞もないのですから。伶人とは、〝音楽を奏する人〟のこと、特に雅楽を奏する人です。だとするとこの蕪村の時代ですから、神道などに携わっている人で、ある意味宮廷官吏などの教養人であると思われます。
そう考えると、品位ある礼儀正しい人が泊ったと思えば、その人が泊っているというだけで涼しげに感じるはず…それなのにやっぱりまだまだ残暑が厳しいことだなあと、蕪村は思ったのでは?
夏だったら単純に人がいるだけで暑苦しいですよね。もしそれが髭が生えたようなむさ苦しい人でなく、伶人のような涼やかな人であっても。だからここはやはり秋になっての〈のこる暑さ〉だったのでしょう。
今日は、また今から句会です…あ、そうだ、その前に義母を連れて病院へも行かなくっちゃ。わあ、忙しい!では今日はこれぐらいで。
写真は我が家の〝野萱草〟、やっと咲きました。晩夏の季語ですが…もう季節なんかどうでも、という感じですよね。この先どうなっていくんでしょうか。