ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

季語の〝立春〟と〝寒明〟の違いは?

2020年02月17日 | 俳句

 今日はまるで今季始めての寒波が襲ってきたかのような寒さで、最高気温は?とみると7度…まあ、これぐらいなら以前にもあったかも。でも、外に出ると強い風が吹き荒れていて、体感温度がぐっと下がります。こんなに〝ああ、寒い、寒い~〟と、震え上がるのも久し振りのような気がしますが…。

 主人の風邪は多少よくなってきたようで、食欲もまあまあ…でも、今度は喉が痛くて声が出ないと。おまけに咳が一日中出てです。これが私に移ったら困る~と、言いながらも同じ空気で同じものを食べていますので…インフルエンザじゃないというから大丈夫かな。でも用心のため、主人に付き合って私も今朝のラジオ体操を始めてサボりました。悔しいけど!

 だって今週は句会が三つもありますし、来週初めの石垣島に出かける予定が近づいていますので、体大事にしなくっちゃ!せっかくの旅行に風邪引いて行ったんじゃどうしようもないでしょう。用心、用心です。

 ところで、明日の句会の兼題は「寒明」。もう過ぎてしまいましたが、節分までが寒ですから、意味も時期も「立春」と全く同じ季語なんです。でも気分的には違いますよ。それを歳時記では、〝立春という季語がもつ春の到来の喜びよりも、長く厳しい季節にひとまず区切りをつけるといった気分が強い〟と、解説しています。

  川波の手がひらひらと寒明くる

  立春の雨やむ群ら嶺雲を座に

 どちらも飯田蛇笏の句集『雪峡』( 創元社、1951年)に所収の句です。

 飯田 蛇笏(いいだ だこつ)は、1885年(明治18年)~ 1962年(昭和37年)の、山梨県出身の俳人。本名、飯田武治(いいだ たけはる)。別号に山廬(さんろ)。高浜虚子に師事、山梨の山村で暮らしつつ格調の高い句を作り、村上鬼城などとともに大正時代における「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍。俳誌「雲母」を主宰。四男の飯田龍太も俳人で、飯田家を継ぎ蛇笏の没後に「雲母」主宰を継承しました。

 飯田家は山梨県東八代郡五成村(のち境川村、現笛吹市境川町小黒坂)の旧家で、名字帯刀を許された大地主。蛇笏は8人兄弟(四男四女)の長男として生れました。飯田家は母屋の背後に狐川が流れ、さらにその背後には「後山(ござん)」と呼ばれる山腹が続くので、蛇笏はこの家を「山盧(さんろ)」と称しました。それで、1932年(昭和7年)の処女句集も『山廬集』という書名で出版しています。だから、蛇笏忌(1962年10月3日)を「山廬忌」ともいいます。(Wikipedia参考)

 前句は、寒の時期が終わりいよいよ春が近づいてくるころの明るい陽光と、それを受けた川波の輝きが詠まれています。ここでの〈手〉は川の波を擬人化したものですが、まるで春を手招きしているかのよう。しかし、〈寒〉への別れを告げて手を振っているかのようにも感じます。中七までの陽気な軽さと下五の有無を言わさぬような語調とのギャップが魅力なのかも知れませんが、私には何かへの別れを奥に秘めているような気がしてなりません。この句を詠んだときの蛇笏の気持ちがどんなものだったのか知りたいものです。

 後句は、立春の朝の景でしょうか。雨が上がった後のアルプスの山々が雲を下にして晴れやかに浮かんで見えるのです。でも、きっとその雲は、今までの冷たさではなく、何とはなしに春めいた柔らかな雲なんでしょう。蛇笏は自分の生家を「山廬」と呼んで、俳号にもしていましたが、これは、山の粗末な庵(いおり)という意味なんです。今も多くの俳人が聖地と仰ぐ場所で、現在は見学も出来るようになったらしいので、機会があれば私も是非訪ねてみたい所なんです。

 調べてみると、2014年に山廬の維持保全や蛇笏、龍太の資料収集を目的に一般社団法人「山廬文化振興会」が設立され、17年には蛇笏が若い頃から句会を開き、歌人若山牧水らも滞在した山廬隣の蔵「俳諧堂」が復元されたんだそうです。山廬玄関には龍太と渓流釣りの趣味が同じで親しかった作家井伏鱒二筆の「飯田龍太」の表札が掛かり、囲炉裏のある書斎には当時のままに机が置かれ、奥座敷には蛇笏、龍太自筆の句が貼られた屏風も。裏山は「後山」と呼ばれる小高い丘で、南アルプスなどの山々を見渡せるそうですよ。わあ、行ってみた~い!

 ところで、「立春」にしても「寒明」にしても、冬の厳しい山国や雪国と暖かな南国とでは詠む感覚が随分違うように思われます。だとすればそういう作者の句を鑑賞するときには、その背景をも心して味わわないといけませんね。

 写真は、先日の「いぐらの館」の〝馬醉木〟(あしび)です。もうこんなに蕾をつけて…やっぱり春なんですね。これは薄紅色の馬醉木みたいですよ。


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2 コメント

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Unknown (翡翠)
2020-02-18 22:10:31
ちわき先生

こんばんは(*^-^*)

>冬の厳しい山国や雪国と
暖かな南国とでは詠む感覚が随分違う

本当にそうですね。
私の住む大阪では、雪がほとんど
降らないので、0度という寒さを
経験することがありません。

霜柱も氷柱も、小学生の頃に
見たっきりです。
雪国の人にとっては、
私が感じる寒さは、秋口くらいの
ものかもしれません。


昨日からまた寒さが戻ってしまいましたが
寒明と立春、同じ時期の季語なのに
奥が深いですね (^^)/

季語の持つ色合いや肌触り?のようなものを
良く考えて入れないとダメなんですね。

勉強になりました(*^^*)


Unknown (ちわき)
2020-02-19 04:49:05

翡翠さん、コメントありがとうございます。大阪も人が多いし、大都会ということもあって地上温度が高いのでしょうか?
自然の大地が多い所ほど自然のままの温度が保てるのでしょうが…その自然のままでさえ地球温暖化で変化しようとしていますから、この先どうなるのでしょうね。
人間って自分の知っていることや見える範囲の状況からしか判断しないところがありますので、何でも見たり聞いたりして見聞を広めることです。この歳になっても今自分が知っていることってほんのちょっぴりなんだと思いますもの…。要するに〝井の中の蛙〟にならないようにということが大切かと思います。
翡翠さんはお名前からすると、野鳥に詳しいのかしら?
そういう自信の持てる分野をたくさん作るといいですよ。
私も俳句やってきてとても物知りになりましたが、これを子供の頃からしてたら〝天才〟になったかも…アッハッハ…
では、ガンバッテ!


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