句作その212…心からの笑顔 | まりんぼったの独り言

まりんぼったの独り言

ヨウムのまりん(2000年生まれ)との日々…
笑ったり、怒ったり、ひたすらにぎやかな日常の中で、私(なまちゃん)の日々も流れて行きます。
調子に乗って、俳句、短歌、川柳、小説なども。
秘境に1人暮らしをしている母も92歳になりました。




 見送りし母語る友冬ぬくし


 季語……冬ぬくし……冬


 



 昨日のこと。
 久しぶりに友人のSちゃんに会った。


 Sちゃんは、昨年の11月19日に最愛の母を
 見送った。
 彼女は6人姉弟の次女として生まれ、姉や
 妹が嫁いで行った後も一人残り、母の世話
 をし続けた。


 S ちゃんと知り合ったとき、彼女は勤めを
 しながら、デイサービスに認知症の母を
 預けて、母と二人の生活を守っていた。


 母上はもう大分前から認知症がひどくて、
 時には娘の顔も判別しにくい時があった。


 Sちゃんは精神的なストレスに悩まされ、
 当時心も身体もボロボロだった。
 身体をほぐそうにも、五十肩や腕痛、腰痛
 で痛いところだらけだったのを覚えて
 いる。



 やがて、年数が経つごとに母上の状態は
 どんどん悪くなり、Sちゃんは意を決し
 て、介護施設に預けたのだ。


 勤めを持ちながら、何年も母上を世話
 してきて、彼女ももう限界だったと思う。


 施設に入ってからも母上は何度も体調を
 崩して入院し、Sちゃんはその都度、
 入院の手続きをして、勤務先の帰りに
 寄っては世話をし続けた。

 Sちゃんとは1ヶ月に1度会うのだが、
 いつも心配そうな暗い顔をしていて、
 「また母が入院したのよ。今度こそもう
  ダメかも知れない」と話すのだった。

 それでも生命力の強い母上は、その都度
 持ち直して退院し、Sちゃんはほっと
 胸を撫で下ろしたことだろう。

 Sちゃんとは高校の同級生だが、1度も
 クラスが一緒になったことがない。
 彼女は数学が得意で、選択科目も書道
 だっから、美術を選んだ私とは接点がな
 かったのだ。



 ひょんなことから、8年前に知り合い、
 今は月に1度は必ず会っている。
 彼女の壮絶な生き方や、考え方が好きで
 尊敬しながら付き合っている。

 
 何年もそんな状態が続いたが、とうとう
 昨年秋、母上の最期のときが近付いた。


 「病院から着て帰る服を用意してくだ
  と言われたのよ」
 この言葉を聞いて、2日後にSちゃんの
 母上は静かに旅立っていった。

 
 Sちゃんはいつも「母が逝ってしまったら
 私は独りぼっちになってしまう」と言って
 その日を恐れていた。


 四十九日の法要が終わり、久しぶりに
 会うとき、彼女のやつれた顔を想像して
 いた。

 けれども……


 彼女はとても綺麗に見えた。
 「やっぱりだんだん寂しくなるね……」
 しみじみと語る横顔が、とても神々しく
 美しく見える。


 髪もふんわりして、紙のようだった顔色が
 ほんのりピンクに染まり、身体もしっかり
 してきたのがわかる。


 「Sちゃん、何だか綺麗になったねぇ」
 思わず口にした。

 「え?そんなことはないよ」
 謙虚な彼女は否定するが、私にはそうと
 しか思えないのだ。


 そのとき、私の胸に去来した想い……
 これは、きっと神様からのSちゃんへの
 労いのプレゼントなのだ❗


 若いとき病の父親を見送り、祖父、祖母
 と立て続けに、Sちゃんは見送って来た。
 特に祖父母のときは、勤務先から病院に
 直行して寝泊まりしながら世話をした。


 そして、母上の最期まで見送り、独りに
 なったSちゃん。
 でも、お母様は永遠の魂となって傍にいて
 見守ってくれている。


 これからは自分の喜びを大切にして、
 心から笑える人生を生きていって欲しい。

 きっと神様が、そんなSちゃんに美しさを
 プレゼントしたのだ。


 別れるとき、手を振ってニッコリした
 Sちゃんは、ハッとするくらい綺麗に
 見えたのだった。