なまちゃんの思い出…書きたい病☆演劇部 | まりんぼったの独り言

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ヨウムのまりん(2000年生まれ)との日々…
笑ったり、怒ったり、ひたすらにぎやかな日常の中で、私(なまちゃん)の日々も流れて行きます。
調子に乗って、俳句、短歌、川柳、小説なども。
秘境に1人暮らしをしている母も92歳になりました。



     中学時代、F子ちゃんとは卒業の日
     まで、ノートを交換した。

   初恋の話、受験への不安、友人との
   やり取り……他愛のない、それでいて
   かけがえのない出来事を綴るのは
   楽しかった。

  
    進む高校が違ったので、交換ノートは
    そこで終わったが、F子ちゃんとは
    それからも良い友人だった。





    なまちゃんが入学したのは、昔は
    女学校だったという伝統ある高校
    である。

    
     秘境からは到底通えないので、学校
      のベルが鳴ってから走っても間に合う
      くらい近くに下宿した。


       二階に6部屋、一階に3部屋の学生
       向けの下宿である。


       男女の比率は半々だった。

       一階には食堂とお風呂があり、特に
       時間は決まっていなかったが、声を
        掛け合っていたと思う。 

    
       学校が近いのは嬉しいことだが、
       何より悩まされたのは、食事の量の
        少なさと、メニューの少なさである。


      なまちゃんは農家の子なので、米、
      野菜、卵、果物、おやつは食べたい
      だけ食べていた。


     肉や魚は、あまり食べられなかったが、
     そんなに好きでもなかったので、家に
     いるときは不自由を感じない。

     それでも、山坂を越えての通学だから、
     太る心配はなかった。




     ところが一転❗️
     下宿の食事は、やっと空腹を満たす
      ものでしかない。

      朝はご飯と味噌汁(大根とワカメが
       定番)漬け物、昼は弁当、夜は
       大抵魚の煮付けと味噌汁、漬け物
       だった。


      なまちゃんの脳裏には、今も夕食の
      赤魚の煮付けと、小鉢にちょこんと
       盛られた青菜が焼き付いている。


    書きたい病のなまちゃんも、最初の
    頃は慣れない学生生活と、下宿生活
    に慣れるのが精一杯で、この頃は
    日記くらいしか書いていない。


    けれども、そんな生活の中で、とても
    嬉しい出来事があり、なまちゃんは
    俄然張り切って登校するようになった。


     それは、二年先輩のTさんに誘われて、
      演劇部に入部したのである。


     中学に入学したとき、もし演劇部が
    あったら迷うことなく入部したのに、
     幸か不幸か、ないので諦めた経緯が
     あり、大喜びで入部したなまちゃん
     だった。


     

         


    
       こうして、なまちゃんは演劇部に
       入部しました。

      下宿の食事の愚痴ばかり書いて、
        紙面が尽きてしまいました。

     今回の記事に、たくさんコメントを
     いただいて、本当にありがとう
     ございます。

      書きたい病は、私だけじゃなかった
       んだと、意を強くしました。

      そして、交換ノートの経験者多数に、
       私って、意外とノーマルだわと
       安心しました。