よく病人がいるとか誤解されがちだが、全員健康な人である。外国はそんなに甘くない。アメリカは行けるようであるが、中国に行くには健康でないと駄目である。
勿論、友達にも病人なんかいない。塾に勤めていてストレスで太って来た人はいるが、精神病ではない。体が悪い人はいたかも知れないが、それもあんまり聞かない。
勿論、私は中国の病院なんか入ったこともない。鬱は自分の力で克服した。人の輪の中に入って行けばいいだけだった。人生でやっと社交的になれて、友達もたくさん出来た。人生薔薇色と思った。
今は中国経済ジャーナリストになっている森戸拓也さんに片想いをした。貿易会社に勤める坂本和子さんと一番親しかった。塾に勤めていた斎藤真奈美さんと親友のようになった。
受験勉強なんか勉強じゃないよね?という話をしたのを覚えている。歳は10才くらい離れていたが、親しかった。私は若い子とあんまり親しくしなかった。男性でも落ち着いた大人の男性が良かったし、チャラチャラした大学生は無視していた。
歳が近くて話していたのはほんの数人であった。そりゃあ、日本に帰って通訳、翻訳も考えたが、アルバイトニュースには載っていなかったし、会社という組織に入るのも嫌だった。
仕事は選べるものだ、と思っていた。私は作家という職業に就きたくて文章を書き初めたのが間違いだった。それは、中国から帰ってからの話である。中国に行く前は一人で翻訳でもしよう、と思っていたし中国から帰って来ても翻訳を考えた。
大連に偉い人は幾らでもいたが、遊んでいるだけの大学生もいた。よく出来るのに旅行ばかりしている人もいた。教科書で勉強するより、旅行で覚えた方が早いという感じで、よく旅行をしている方が、上級班や研究班にたくさんいた。私も旅行で覚えたようなものである。