30代は薔薇色だった。 | すみちゃんのブログ

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高校中退して、中国No.1外大に留学して3ヶ月でHSKに合格。そして、現地の芸大で胡弓を専攻。2年間留学しました。しかし、精神科に入院して真っ暗な20代。今は18年独り暮らし、彼と10年同棲して青春が来ましたが同棲解消。足の病気でリハビリ中。

30代は本当に良かった。31才で今付き合っている彼と知り合った。初めは実家で学園前から若江岩田まで毎日通っていた。32才で念願の同棲をした。家事が大変で親の有り難みを知った。



朝はモーニングだが、昼、夜と料理をしていた。週5日彼は泊まり、土日は女友達が泊まりに来ていた。新鮮な生活を送っていた。しかし、疲れてしまって静養入院ばかりしていた。



その内に入院ばかりするから、と彼を追い出して別れて違う人と付き合った。しかし、すぐに別れてしまった。彼も他の人と付き合ったが別れてしまい、また友達からやり直した。



今では腐れ縁で喧嘩してもすぐに仲直りする。彼とは病院の入院中に知り合い、ミスタードーナツで文学の話をしたのが馴れ初めだった。彼は私が中国語堪能である、という理由で付き合ったらしい。



そして、色々とあった。今は別々に住んでいるが同居はとてもしんどかった。我慢の連続でストレスが溜まり、引っ越して欲しいと思っていた。その通りになって、今は文句がない。

  

33才でデイケアを卒業して働くことが出来て、一人で暮らし好きな時に寝て、好きな時に食べて、5年くらい一人で暮らして、寂しいとも思わず、彼と離れて仕事の鬼になり、無遅刻無欠勤を何ヵ月も繰り返し、自信を着けてアルバイトに行こうとしたが、無理であった。



一時から五時まで毎日半年間来てください、と言われたが11時に行ったり4時に帰ったりして、アルバイトの話はなくなってしまった。私はコンビニを希望していた。



働きたかったので、保護が切れるとか考えもしなかったです。そうして10年間通ったが、体力が落ちて仕事が出来なくなってしまった。



私は初めから訪問看護もヘルパーさんも入っていなくて、全て自分でしていた。料理はほうれん草、小松菜が多かった。たまに肉じゃがや味噌汁を作ったり、友達が来たらカレーやシチューを出していた。



そんな夢のような本当にある30代の生活と体力が欲しい。あれば、今でも週5日で働きに行きたい。40代になり、病気ばかりしている。体力も落ちて週5日労働なんてもう出来ない。