中国留学日記No.42 | すみちゃんのブログ

すみちゃんのブログ

高校中退して、中国No.1外大に留学して3ヶ月でHSKに合格。そして、現地の芸大で胡弓を専攻。2年間留学しました。しかし、精神科に入院して真っ暗な20代。今は18年独り暮らし、彼と10年同棲して青春が来ましたが同棲解消。足の病気でリハビリ中。

中国へ行くことは私にとって人生の掛けだった。鬱病絶頂で下手したら中国の病院に一生入らなければならないことも考えられる。しかし、鬱病も良くなり、人格も変えられる、と信じて疑わなかった‼田舎へ行けば鬱病が良くなる、と信じていた。



日本なんてどうせ何処も都会なんだろう。スーパーもコンビニもあるのだろう。そう思って当時発展途上の中国へ行った。当時の中国はスーパーもコンビニもなく、街へ出ようものなら、歩いて30分掛かる。不便とは思わず、私はかなりな変わり者でそこが魅力だと思った。



都会が嫌だから北京と上海には行きたくありません、と斡旋会社のカウンセラーに言った。内陸部に行きたい、と伝えると日本人は海が見えないと寂しくなるから、と大連を紹介されて、言うことを聞いて大連に決めた。



2年目の雲南は自分で中国語で手紙を書いて、入学通知書が送られて来た。海外は甘くない。カウンセラーに「内陸部に行くようなタイプではない。」と言われていたが、やはり内陸部は大変だった。日本人が居ないからである。中国語も普通の日常会話は困らなかったが、悩み事を話せなくて苦労した。



外事処の先生も女の子一人で旅行は危ない、と言い一人旅をさせてくれなかった。大連では手慣れたものだったが、私は中国の法律を知らないから怖いものはないが、私より出来る先輩たちは中国の怖さを知っていて、旅行に行こうとしなかった。中には一人旅をする人もいた。



特にシルクロードだけは先輩の蒙反対に遇い、新疆には行かなかった。上海の時の同級生の人なんかチベットへ行く、と言ったら先輩に「棺桶を持っていけ」と言われていたのを思い出す。



今の方がスパイとか疑われるかも知れないが、旅行をしているだけで逮捕されてしまうような国である。日本人が気楽に一人で旅行をするような国ではない。先輩たちはそんなことも良く知っていたのだと思います。



チベット、新疆以外は大体一人で廻って来ました。列車で隣や前の人と喋るとすぐに「広州人?香港人?」と聞かれる。中国語が話せるからである。日本人とはまず言われない。奥地ばかり行くせいか、日本人を見たこともなく、珍しがられたこともある。



子供を産むことなど誰でもしているが、そんな経験をしている日本人は珍しいと思う。今でも一人で中国を廻る人はあんまり居ないだろう。