日本なんてどうせ何処も都会なんだろう。スーパーもコンビニもあるのだろう。そう思って当時発展途上の中国へ行った。当時の中国はスーパーもコンビニもなく、街へ出ようものなら、歩いて30分掛かる。不便とは思わず、私はかなりな変わり者でそこが魅力だと思った。
都会が嫌だから北京と上海には行きたくありません、と斡旋会社のカウンセラーに言った。内陸部に行きたい、と伝えると日本人は海が見えないと寂しくなるから、と大連を紹介されて、言うことを聞いて大連に決めた。
2年目の雲南は自分で中国語で手紙を書いて、入学通知書が送られて来た。海外は甘くない。カウンセラーに「内陸部に行くようなタイプではない。」と言われていたが、やはり内陸部は大変だった。日本人が居ないからである。中国語も普通の日常会話は困らなかったが、悩み事を話せなくて苦労した。
外事処の先生も女の子一人で旅行は危ない、と言い一人旅をさせてくれなかった。大連では手慣れたものだったが、私は中国の法律を知らないから怖いものはないが、私より出来る先輩たちは中国の怖さを知っていて、旅行に行こうとしなかった。中には一人旅をする人もいた。
特にシルクロードだけは先輩の蒙反対に遇い、新疆には行かなかった。上海の時の同級生の人なんかチベットへ行く、と言ったら先輩に「棺桶を持っていけ」と言われていたのを思い出す。
今の方がスパイとか疑われるかも知れないが、旅行をしているだけで逮捕されてしまうような国である。日本人が気楽に一人で旅行をするような国ではない。先輩たちはそんなことも良く知っていたのだと思います。
チベット、新疆以外は大体一人で廻って来ました。列車で隣や前の人と喋るとすぐに「広州人?香港人?」と聞かれる。中国語が話せるからである。日本人とはまず言われない。奥地ばかり行くせいか、日本人を見たこともなく、珍しがられたこともある。
子供を産むことなど誰でもしているが、そんな経験をしている日本人は珍しいと思う。今でも一人で中国を廻る人はあんまり居ないだろう。