次から次へと同級生や先輩に声を掛けられて、日本の地獄の学生時代とはまるで違い、初めて人に心が開けたところだった。
幼稚園から既に協調性がなく、友達は一人いて充分、3年生、4年生の頃は苛められて、中学生から自殺願望があり、日本ではあんまりいい思いをしていない。
高校時代、鬱とパニック障害と対人恐怖症の症状があり、勉強は辛くないが電車に乗るのが怖くて、恐怖で大変なことだった。人と目が合うと怖い、人に見られるだけでボロボロに傷付く、いつもアイドルが横にいて、大丈夫か?と言って貰う想像をしないと、電車にも乗ることが出来ない。
豊中市の公立だけど勉強には困らないが、同級生との対人関係にも困り、一人でいた方が楽だと思い、休憩時間は寝ているか、本を読んでいるかで、ネクラもいいとこだった。そんな自分が好きになれる訳もない。
明るくて活発で積極的な同級生が羨ましかったし、自分もそのようになりたい、とずっと思い続けた。そうして、願い通りになった。やはり、そうなれたのは中国のお陰だと今でも思っている。一生で何回かの願望が実現して、私は人生が薔薇色だった。
もう、鬱病にはならないだろうと思っていたが、やはり鬱病で入院してしまった。自力で治したが、日本に帰って会社へ行こうとせず、徹夜して文章を書いていたら、また鬱病が復活した。多分、筆を捨てて働いていたら病院にも入っていないだろう。