今は薔薇色‼ | すみちゃんのブログ

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高校中退して、中国No.1外大に留学して3ヶ月でHSKに合格。そして、現地の芸大で胡弓を専攻。2年間留学しました。しかし、精神科に入院して真っ暗な20代。今は18年独り暮らし、彼と10年同棲して青春が来ましたが同棲解消。足の病気でリハビリ中。

今は昔に比べて薔薇色である。高校時代、鬱病、パニック障害、対人恐怖、拒食症で病院にも掛からず、相談する人もおらず、絶望的な辛い辛い毎日を過ごしていた。



人を全く信用出来ず、自分の殻に閉じ籠るというのは、酷い鬱病である。毎日、辛いという感情しかなく、生き地獄であった。後輩に数学を教えるくらいで、友達も彼も何にもおらずひとりぼっち。



たまに保健室の先生に相談しに行ったが、よく解らなかったみたいである。勉強はよく出来て先生からは期待されてばかり。正直、悪いことも出来ないから、優等生で居なければならないから、余計にしんどい。



日本に志望の大学もなく、卒業したら中国へ留学する、と決めていた。それが2年の夏に早くなっただけである。先生は「日本との架け橋になるんやね」と反対もしなかった。通訳になりたい、翻訳したい、と親にも言うて日本を上手く出てきた。



確かに文章を投稿していたが、作家では食べられないから通訳、翻訳で食べる、とか現実的に考えていた。自分には出来ると思っていた。カルチャーセンターにも通っていた。正直、中国語の勉強は楽しいものではなかった。辛いものだった。



内向的過ぎて教室から出て、一人で泣いていたりした。でも、日本が嫌だったから食らい付いた。2回目の先生は高校で中国語を教えていて、うちの高校の英語の教師のヒモだった、とか大人の世界の話もあった。



そうして、女子大生の先輩にも可愛がられて、8時に帰る部活という感じのところは愉しかった‼学校では部活に入ってないから、部活みたいなものだった。



そうして本場に行った。初めて行ったのは上海だった。飛行機から降りて、バスに乗って喜んでしまった。上海の真夏は最高気温40度になるが、細いのもあって平気だった。そうして、青春が始まってワクワクする毎日が始まり、大連では友達もたくさん出来て鬱病は一時的には良くなった。



しかし、日本に帰って作家になると妄想を起こして、徹夜で書く日々が辛すぎて、また鬱病が出て入院になってしまった。作家は鬱病の人が多い。多分、徹夜が原因だろう。作家は夜中にウイスキーでも呑みながら書く人が多い。



今は薬を飲んでいるからか、気分は常に明るくて鬱なんか滅多にならない。相談する相手も幾らでもいてる。深刻な悩みも抱えていない。人世薔薇色である。