終わった後に結果を報告する。
それが私のスタンス。
本当は
「面倒くさいから後でやろう」
と思っているうちに
二週間が経っちゃった感じなんですけどね。
わりとマジで悩んでいるんですけど、
住んでいる地域の関係もあって、
私が使っているPC、Wi-Fiのつながりが
ズタボロみたいで、編集作業をしていると
度々、ネットがつながらなくなる時が
あるんですよね。
それ以外は全く問題なく動く
良い機種なだけに、どうしたもんかなと
思わなくもない。
さて。先月末まで開催されていた
まどマギコラボ。
PUカードの提供割合、
わずか0.2%。
この間、報告しようと思っていた
CCさくらのコラボガチャが0.4%。
さらに低くなりました。
足元を見るのにも
限度があるずらーー!!٩(๑`^´๑)۶
・・・・・・・
でも
課金したでしょ?
前回や前々回の記事で
書いたような気がしますが、
結局、今のぷよクエは
ユーザーに最適化されている
んですよね。
確率が低すぎるとか
専用のストーリーがないとか
不満も言われたコラボだったけど
どんなにギャーギャー
叫んだところで課金をしているなら
チャーラー、ヘッチャラなんですよ。
向こうにとってはね。
CCさくらのコラボだって
0.4%のカードが天井250連という
物凄い内容でしたけど、
みんな、課金して
ガチャを回していました。
注視すれば
200連以降は100連ごとに
目当てのWSが入手できるように
なっているんですよね。
つまり、金を使う人間ほど
得なシステムになっているのです。
ぷよクエは有償10連ガチャに
必要な費用が6000円だから
800連、つまりガチャポイント
600点に必要な費用は
概算すれば15回分=9万円
なんですけど、
資本主義って
そういう奴を育てて
個人が持つ資産を市場に流さないと
成長出来ないようになっているので
言い換えると
浪費を美徳と認識するように
脳内を改造させていくところがあって、
それを踏まえると
お金を使う人には気持ちよくさせて
使わない人には辛い環境を作るのって
全然、正しいんですよね。
少なくとも新自由主義的には。
新自由主義?
それは一体、なんズらぁ?
簡単に説明すると
政治・文化、
特に医療や教育、
競技や遊戯といった非経済的領域を
市場対国家の二項対立を軸にした
モデルで説明しようとし、
かつまた、前者の優位性を
強調するイデオロギーの事です。
勝負の世界って本来、
友情・努力・勝利じゃないですか。
車の性能で勝つのではなく、
ドライバーのテクニックで勝つのが
最高にクールなんだって言う
独特の論理があるのです。
例えば箱根駅伝で
「運営に百万払ったら
往路だけ自動車で走れる」
なんてルールが追加されたら
どう思いますか?
そんなのズルじゃねーかずらー!
そう、勝負の世界では
お金で実力を汚すことなど
邪道以外の何物でもないのです。
しかし、ここで視点を変えて
考えてみてください。
例えば・・・そう、
数万かけて買ったタイヤが
すぐパンクするような
ものだったら、あなたはどうしますか?
店に電話して交換してもらうずら!
それは経済の論理なんですよね。
お金をかけたからには、
その金額に見合うリターンがなければ
ならない。
仮に店側が
「セールストークに騙されて
買ったあんたの負けーm9(^Д^)プギャー」
とか言ってきたら
その店は間違いなく
営業停止になるでしょうね。
さぁ、考えてみてください。
数万円かけて
手に入れたカードが
全く役立たずのゴミクズだったら
これは、OKなのでしょうか、
それともNGなのでしょうか?
ゲームの論理(勝負の論理)では
実力差を覆すほどのカードを使うのは
反則以外の何物でもないずら。
しかし、経済の論理では
数万かけて当てたのに全く見返りが無いのは
激しくNGずら!
そういうことだよ。
カーレースに例えれば、
ボタンを押すだけで
完璧なドリフトが出来るような
車を使うのは絶対許されないけど
ソーシャルゲームでは
それをやるんですよね。
それは、課金した額に相当する性能を
他ならぬユーザーが求めているから
です。
連鎖のタネを自動生成するカードを
売り出した時も、
「けしからん!」と怒る人よりも
「すげー火力だべー!」とはしゃいでいた
人のほうが多かったんですよね。
正確に言えば、
これを良しとしない人間は
もちろんいるんだけど、
未練がある人以外は
次々とぷよクエを辞めていったのですよ。
結果、課金ユーザーの割合が爆発的に増えて
彼らがサービス終了の是非を決めるような
ゲームへと変わっていったという訳です。
これまでは微課金プレイヤーも
ユーザーとして認識されていたけど、
今は重課金プレイヤーだけが
お客様として認識されていて
実際、それで商売的には
結果を出しているから、今後も
ありえないほど低い確率の反則カードを
出して、お金を巻き上げるスタイルは
絶対に変わらないでしょうね。
サブスクっていうのが
巷では流行っていますけど、
月額1000円を支払うと
オートリピートが出来るとか
とにかく無課金や微課金にとっては
ろくに勝てない様にして
逆に重課金には
誰でも(下手くそでも)
簡単に金額に見合った結果が出せる
ようになったわけよ。
中盤まではね。
中盤?
それはどういうことずら?
さっき、箱根駅伝で
運営に百万円を払ったら往路だけ
車で走れるようになるって言いましたよね?
その結果、みんな百万払うように
なったとするじゃないですか。
すると、どうなると思いますか?
せっかく百万円も払ったのに
無双することが出来ないじゃねーか
ずら!
そこで打ち出されたのが
さらに百万、合計200万払えば
復路も自動車で走れるようになる
という新ルールって訳ですよ。
つまり、インフレ
です。
ダメージチャレンジが好例ですが、
みんなが似たような結果を得るように
なると、新要素を出して、さらに
お金を出せば、ライバルに差をつける
ことが出来るようになるよ
というシステムを作っているのですね。
言っちまえばね。
このゲームは
私のような無課金プレイヤーが
真面目にタッタカ、
路上を足で走っている真横で、
課金プレイヤーが
頭文字(イニシャル)Dをやってるんですよ。
今回のコラボ、確率が低すぎて
「初心者に厳しい( ー`дー´)キリッ」
とか言っている人もいたみたいだけど
とんだ的外れだよ。
本当に心配しているなら
こう言うべきですね。
今すぐこのゲームをやめろ
と。
テニプリコラボで大赤字を出してから
慌てて無償石の配布量を増やしたのが
良い例ですが、みんなが納得しないなら
セガだって加減するんです。
ストーリーが無くたって
確率が低くたって
手抜きが多くたって
それでも皆が課金して儲かっている以上、
今後もこの傾向は続きますよ。
残念だけどね。
マクドナルドに例えれば、
月額数千円を払う人間には
今よりも美味しくてたくさんの
ハンバーガーが食べれるようになった
なった一方で、
普通の客は
水とSサイズのポテトしか食えない
ようになったって事ずらね?
それで、そっちのほうが
儲かるから、定着しちまった
という事ずらね?
少し違う。
昔のスタイルのほうが
利益を上げていたんですよ。
やっぱりさぁ、
水とポテトしか頼めない
ハンバーガー屋なんかリピート
しないじゃないですか。
ガチ勢ギルドに所属している人は
気づいていないかもしれませんが、
私のような中堅ギルドの人間は
ずいぶんと人が辞めていったなぁ
とメチャクチャ体感しているんですよね。
ちゃーらー、ヘッチャラー
中身空っぽの方が搾取が出来ーるー
なんて事は無い訳ですよ。
手を抜けば手を抜く分、
お金は逃げていくの。これが事実。
ぷよクエが
今やっているのは
最低限の利益確保であって、
攻めの姿勢とは程遠いです。
重課金プレイヤーの
需要を優先するのに精一杯で、
それ以外のプレイヤーに目を向ける
ことが出来ないだけなんですね。
これは他の国や業界にも言えますが、
1ドルでも多くの利益を得ようと
新自由主義を採用した結果、
かえって儲からなくなって、
部分的には成功している分
(お金を出す人には恩恵がある分)
損をする人の方が多くなった
(経済格差が激化した)せいで
全体ではむしろ貧しくなったんですよね。
中国は習近平政権以降、
小康社会とか共同富裕社会といった
ワードを打ち出して、発展を遅らせてでも
福祉を拡充させて
国民全体の格差を埋めていこうという
方向へと転換しましたが、
日本はねぇ・・・
こんなソーシャルゲームにさえ
新自由主義の論理が巣食っている有り様
ですから、まぁ、良くはならないんじゃ
ないかなぁと思っている次第であります。
とりあえず今回のガチャの仕様に
不満がある人は、気休めですが
課金の量を減らすようにしましょう。
それが最もダメージがでかいので。
ちなみに私は1円も使っていないよ。
言いたいことはだいたい理解したずら。
それでキリューさんは一体、
ガチャを回してどんな結果を得たずら?
知りたい?
この記事のタイトル的に
普通はガチャの結果を書いている
はずずら。
それが何で
こんな説教臭い文章になったのか
理解不能ずら!
私も最初は普通に
結果報告だけしようと思っていた
んだけど、気づいたらこうなっていた
んですよね。不思議だよね。
てゆーか、
わざわざ書かなくてもわかるでしょ。
500連回して1枚もらえるか
どうか怪しいガチャなんだから、
普通に考えれば
爆死しておしまいじゃないですか。
・・・もしかして、それって
回したのは他の誰でもない。
神に愛されし者、
キリューさんと書いて
奇跡(ミラクル)と読む人だった
事ですか。
つづく。
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