この世界は優しさしかない | あるがまま、湧いたままのブログ

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ノンデュアリティを知ってから、楽に生きるようになっています♪

こんにちは、ちかこです。

 

訪問ありがとうございます。

 

 

さて、前回の続きですが、友達を利用して得をしようとか、

 

利害関係で付き合っていたのは私だ!と気づいたのですが、

 

他にも、自分を嫌になる気づきがありました。

 

 

敬老の日に実家に行こうと、前の日に母と一緒に住んでいる兄にメールをしたら、

 

母に私が行くことを伝えたところ、私にあげるお金がないと困っているというのです。

 

だからといって、兄が母にお金を渡すわけにもいかないと。

 

 

なんだか、がっかりしました。私がまるでお金をたかりにいくように思われているのかなって。

 

前にも兄に、「お母さんはちかこはお金が欲しい時だけやってくると言ってたよ」

 

と、そんなことを言われたことがあります。

 

そうじゃなくて、1か月に一回くらいは顔を出したり、母が認知になる前は、

 

映画や食事に誘って、外に元気に出てもらって楽しんでもらいたかったのに。

 

今回だって、顔を見に行くだけだし。

 

でも、お金欲しさに私が行くと思われているなら、もう行くのもやめようかなと

 

そんなことを思い、傷ついていました。

 

だいたい、私や息子が行くと、お小遣いはいいのか?と

 

母からくれていたのに。

 

出かけた時には、映画やお茶代をおごってもいたし。。。

 

私が悪いみたいに言われている。。。と被害者意識に。

 

でも、そのあとに、ふっと「私が娘という立場を利用して、

 

何かとお金がいる時に会いに行っていたかもしれない。

 

母なら頼っても大丈夫、なんとかしてくれる。

 

昔からそうだったから…みたいな甘え。

 

それに気が付き、またなんてひどい人間なんだろうと落ち込みました。

 

友達も母も、利用していたんだ…。最低だと…。

 

でも、そんなことを思う前に、兄にはお金は関係なくて、

 

敬老の日だから顔を出すだけ、お金のことを心配しているなら、

 

私は行かないほうがお母さんも安心かな。というメールを送っていました。

 

で、私はひどい人間だ~~。と、自分を責めようとしたら、

 

心の奥底から、「それが人間というものだ」という声が聞こえました。

 

それはエゴだ。誰にでもある。チカが悪いわけではない。

 

そして、本来のチカはエゴではないんだと…。

 

被害者意識から、加害者意識に転換しただけで、

 

責める相手が他人から自分へと変わっただけのこと。

 

全部が思考。ジャッジしているのはエゴ。

 

 

そう気づいた時、兄からメールがきました。

 

「お母さんはちかこのことが心配なのか、体裁を気にしてなのかわからないけど、会いに来てあげて。

 

お金をあげたいと言ったら、千円くらい受け取ってあげて。」というメールでした。

 

読んで一気に涙があふれ、兄の優しさに触れました。

 

なんだよ、誤解させるようなメールを最初に送らないでよ。優しいじゃん。

 

最初のメールだと、私なんか行かないほうがいいとも思えたよ。

 

ああ、でも、捉え方は私次第か…。

 

と思ったのですが、ここで、また気づきがあったんです。

 

 

それは、最初に誤解させるような、まるで私が悪いみたいな、

 

私を否定するような、そう私が捉えちゃうような文面にしたのは、わざとなんだ。

 

もちろん兄の意志ではなくて、

 

それもすべてがハイヤーの計らいなんだ!と。

 

 

だから、気づいたあとに、優しさのメールが来たんだ。

 

 

私の捉え方次第ではなくって、

 

その時にどう捉えて、どんな思考や感情が出て、

 

感情の解放ができるように、私が気づけるように、

 

ハイヤーからのメッセージやギフトだったんだ。

 

 

だから、私が傷つくように、悪くとらえるようなメールを最初に送ってこさせた。

 

これもハイヤーからのギフトだったんだ!!!

 

 

 

前に、フェイスブックの投稿にある人がコメントをくれたんだけど、

 

読んで「なんて批判的なコメントだろう」と頭に来て、

 

コメントに返事を返すこともできませんでした。

 

でも、ふとそのコメントを読んで、「ジャッジしていたのは私も同じじゃないか!」と気づいてから、

 

何かしら返事や、せめて「いいね」だけでもしようかと

 

コメントを読み返してみたら、最初に読んだときに感じた内容とまったく違っていて、

 

どこにも批判的なことなんか書いてなかったということがありました。

 

こんなこと言うと、みんな、「はあ?そんなことあるわけないじゃん」と思うかもしれない。

 

でも、もしかしたら、すべて私に気づかせるために仕組んだハイヤーのいたずらで、

 

最初に私が読んだ時の文章と、2回目に読んだ時の文章が

 

違っていたのかもしれない。

 

 

言い方を変えたら、過去が変わったみたいな?

 

一気に違う世界にシフトして、文面まで前と変わってしまったみたいな感じ?

 

 

 

そう思ったら、捉え方次第じゃなくって、私がどう捉えるかすら、

 

ハイヤーの思惑だった…。その時の感情や思考を俯瞰して観て、

 

ちゃんと気づけるかどうか...。気づけたら、どんどん感情を浄化し、

 

観念を手放し、軽くなる…。

 

そのためにすべては起きているんじゃないのか…。

 

そう思えてきたんです。

 

 

で、そんな気づきがあった後に見たドラマは、「夢をかなえるゾウ」でした。

 

小栗旬が出ているのではなくって、水川あさみが出ている連続ドラマの方です。

 

 

毎回課題をどんどんガネーシャが出していくのですが、

 

その中で、自分の中に潜む悪魔を見るという課題がありました。

 

自分にはそんな悪い感情も、悪い思考もないと主人公のあすかは言うんだけど、

 

実際、自分が周りの人をジャッジし、不幸になったらと想像し、

 

その姿を喜んでいるのを体験し、めっちゃ落ち込むんです。

 

でも、そのあとにガネーシャが「安心せい、みんなも同じだ」と、

 

今度は周りの人の悪意がすべて聞こえるようにされてしまうのです。

 

表面笑っているのに、嫉妬やねたみ、憎しみなどがみんなの心の奥に潜んでいる…。

 

それを知って、またもあすかは傷つき、人間不信になりそうになるんだけど、

 

「それが人間や。人間というのはみんな善と悪があるんや。 コインの裏表みたいにな」

 

とガネーシャが言うんです。

 

 

う!まさに、私が体験したこととおんなじ!

 

私の中にも善も悪もある。天使と悪魔が潜んでいる。

 

どんな人の中にもあるんだ。

 

だけど、それが人間なんだけど、もともとはみんな神様。宇宙。

 

大いなる意識そのもの。だから、そんな自分も相手も非難しないでいいし、

 

どっちの自分もOKで、許してくれているのが宇宙、大いなる意識。

 

つまり、本来の私なんだ。

 

もう、「ポジティブシンキング」だの、「いいほうに捉えよう」だのもいらない。

 

 

どんなふうに考えたり、どんな感情を持ったとしても、

 

そんな自分も、どんな自分もOKだから。

 

その、すべてをOKにしているのが、本来の自分だから。

 

 

 

母に会いに行くと、母は最初顔を見ても私だとわからなかった様子。

 

顔が変わったからわからないと言われました。

 

まあ、前よりもかなり髪の毛短いし。

 

母の記憶の中の私は、まだ若いのかもしれないし。

 

それでも、二人でテレビを見ながら、なんでもないようなことを話しているだけで、

 

私の心は落ち着いたり、癒されたり、喜んでいました。

 

帰りに、なんにも用意もできなかったし、何もしてあげられなくてとごめんねと

 

母は謝っていましたが、私にとっては、ただ、母がそこにいること自体が一番の喜びでした。

 

それがギフトでした。すでに会っただけでも多くのものをもらっていました。

 

母の中には、「親だから子どもに何かをしてあげなければならない」とか、

 

子どものことがいつまでも心配で気にかけてしまうようなところがあるのかもしれません。

 

それもまた、母の愛なんでしょうが、やっぱり、古い観念なんですね。

 

今までの古い時代の地球の観念。

 

 

親だから、こどもの心配をするのは当たり前だ…というのは、きっともう昔の話になるのです。

 

心配とは、恐れから来ます。

 

心配してくれていたのは嬉しかったけれど、親だからなんとかしてあげないと。

 

娘がちゃんとやっていけるか心配だから…という意識は、

 

親だからなんとかしてもらおう。私はちゃんとやっていけていないから…という意識を産む。

 

だから、いつまでも依存の関係になる。

 

そして、いつまでも子どもに頼ってほしい、忘れられたくない、会いに来てほしいという、

 

そんな親の願いでもあり、不安でもあるんですね、きっと。

 

 

だけど、これからは恐怖や不安からの思考ではなく、愛から来るものになります。

 

心配ではなく、信頼や安心です。

 

親だから何かをしてあげるではなく、

 

「この子なら大丈夫。安心だ。何が起きたとしても、乗り越える力があるから信頼している」

 

この意識を親が持っていたら、子どもには、

 

「自分は何が起きても大丈夫、安心していられる」という

 

そんな意識が芽生えるんだと思います。

 

そして、何もあげるものがなかったり、何もしてあげられないとしても、

 

もう、そこにいる、存在しているということがすでに、最大の愛、ギフトになって、

 

みんなが、みんなの存在の大切さに気付いていくのかもしれない…。

 

 

 

何が起きたとしても、すべてハイヤーの意識が、

 

私たちが本来の自分に戻るために起こしていることだし、

 

だから、すべて安心なのは当然なんですよね。

 

 

何もかも、起きてくることはハイヤーの計らい。

 

思考や感情すら、ハイヤーからのギフト。

 

 

だから、すべてを任せて、すべてをゆだねていたらいい

 

 

この世界は、優しさしかなかったんだね!

 

 

愛そのものだね!

 

 

 

 

読んでいただきありがとうございましたラブラブラブラブラブラブ

 

 


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