このコーナーは、私が東海道五十三次を
京都から江戸(東京)に向かって、
ちびちびと歩いている記録を、
文と写真でつづっています。
まずは「(徒歩で)日本橋に到達する」を
目標に掲げて、頑張っています!
私の東海道旅は「広重の浮世絵作品」を
キーワードとしています。
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これまでの旅の記録は、メニューあるいは
こちらの目次 をごらんください!
三
ちょっといい和・東海道編です!
今回は三重県の桑名宿散策・後編です。
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< 後編のおおまかな流れ >
①蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)
②本多忠勝(ほんだただかつ)銅像
③九華公園&桑名城跡
④青銅の鳥居&春日神社
➄京町見附跡
⑥矢田立場跡
⑦JR桑名駅
では、本編をどうぞ
日時:10月3日(水) 天気:
前編の最後、蟠龍櫓
吉之丸コミュニティパーク。
この辺りは、桑名城の三の丸跡で、
入口には本多忠勝の銅像がありました。
本多忠勝像です
本多忠勝は徳川四天王の一人と言われ、1601年に桑名城主になり、
町の大改造を行いました(慶長の町割り)。
銅像の視線の先には・・
道路を挟んだ向こう側にあるのが九華公園。
九華公園の中に入っていくと、先には
城の周りのお堀が。
何ヶ所かに地図の看板があり、それを参考にして
桑名城跡と刻まれた石柱を発見。
桑名城は「海道の名城」と言われていましたが、明治維新後に
新政府軍に焼き払われてしまいました。
見えにくいですが「九華公園」と刻まれています。
最初とは違う出口から出て、少し歩くと・・
お堀沿いに、桑名城絵図が描かれた看板がありました。
その後、九華公園を出発。
次に向かったのは・・・
青銅の鳥居。
九華公園から約7分、出発から約6.2キロ。
よ〜く見ると、鳥居の上の方とかに模様が入ってます。
調べてみると、最初は1602年に本多忠勝の寄進で、
木製の鳥居が作られました。
しかし、約50年後に大風で倒壊。
その13年後に藩主の松平定重が日本随一の青銅鳥居の建立を
思い立ち、鋳物師に命じて作らせました。
その後も度々、天災に見舞われたが、その都度
代々の鋳造匠・辻内家によって修復が行われています。
また、鳥居のすぐ横(向かって左)には「しるべいし」がありました。
しるべいしは迷子石とも言われ、人がたくさん集まる場所に
立てられました。
自分の子供が迷子になると、「たずぬるかた」と刻まれた面に
子供の特徴や服装を書いた紙を貼り、心当たりのある人は
「おしゆるかた」と刻まれた面に、見かけた場所などを書いた紙を
貼るそうです。
そして鳥居の向こうに見えるのが・・・
春日神社の三門と本堂(奥)。
春日神社は俗称で、桑名宗社が正しい名前だそうです。
ここで左を向くと・・
広重の作品が描かれた案内板がありました。
奥の社殿で手を合わせた後、春日神社を11時48分に出発しました。
もう一度、堀の方に歩くと・・
「歴史を語る公園」と言う休憩スペースが。
少し休んで水分補給します。
桑名城にあった城壁が展示されています。
こちらも歴史を語る公園の一角。
東海道五十三次をモチーフにして造られたのだそう。
写真には写ってませんが、三条大橋をイメージした橋が
横にありました。
JR桑名駅到着:13時00分
歩行時間:3時間30分
(スマホアプリ「Runtastic」にて計測)
いつもなら
「次回は桑名宿から宮宿へ歩きます!」ですが・・・
昔の人は桑名から宮まで船で行き来してたんですよね
現在は、同じルートの船便なんてないし・・
桑名宿から宮宿の間をどうするか?
検討中です。
以上、ちょっといい和・東海道編でした!