前号続きです。。。
(1)ホリさんの「○○が絶対言わない事」
(2)ナイナイ矢部浩之さんによる桑田佳祐さんのモノマネ
(3)青木隆治さんによる布施明さんのモノマネ
(4)青木隆治さんによる江頭2:50さんのモノマネ
(5)マニアックモノマネ
(6)デフォルメ
(7)渡辺直美さんによるビヨンセのモノマネ
(8)渡辺直美さんが顔を黒く塗ってビヨンセのモノマネをする場合
(9)黒人のスタイルのいい女性による渡辺直美さんのようなビヨンセのモノマネ
今回は(6)、、、
□□□□□□(6)デフォルメ□□□□□□
モノマネの笑いには、
モノマネされる客体のディスコミュニケーションの再現を笑う「モノマネ本来の笑い」と、
モノマネになっていない部分を笑う「非モノマネの笑い」がある訳ですが、
この両面をフル活用するモノマネが、
「デフォルメ」「誇張」です。
デフォルメは、その特徴を捉えているのは間違いないので、
モノマネ客体のディスコミュニケーションの再提示の要素があります。(モノマネ本来の笑い)
それと同時に、
その崩す事に対しては、
似ていないモノマネと同様、
その「モノマネ客体のあるべき姿からの逸脱」に対して、
「違うわ!」
とも、突っ込みたくなります。(非モノマネの笑い)
デフォルメの笑いに、
外形的にこの2面が併存するのは間違いないでしょう。
ただ外形的にこの2面が併存する事実は、
別の効果も伴います。
というより、
その効果の方こそ面白い。
デフォルメって、
何等かの「意図」を感じさせますよね。
その特徴の再現で終わらせず、
わざとそれを強調、拡大提示したり、壊したりする事に対して、
何らかの意図を想像できるので、
「モノマネする意図」から逸脱する、
「デフォルメする意図」を強く感じますし、
その「デフォルメする意図」にこそ突っ込みたくなります。
抽象的にフォーマット化すると、、、
< 基準 >:モノマネする意図
< ズレ >:デフォルメする意図
<ツッコミ>:「何でそんなすんねん?」「何がしたいねん!」「普通にやれや!」「マネするだけでえぇねん!」
過去記事で、
「ボケる意図」の表面化という話を書いた事がありますが、【→「ボケ」…笑いの言葉(1)】
デフォルメは、この「意図」を強く意識させるからこそ面白い笑いだと思います。
ただ、問題となるのがその意図の具体的な中身。
この「意図」には大きな副作用もあるようです。
□□□□□□批判□□□□□□
5月、2つのモノマネが批判されていました。
『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』(フジテレビ系)でのキンタロー。さんによる欅坂46の平手友梨奈さんのモノマネと、
『ものまねグランプリ 男芸人VS女芸人怒涛のガチバトルSP』(日本テレビ系)でのゆりやんレトリィバァさんによる浜崎あゆみさんのモノマネ。
デフォルメ以外の要素もありますが、
批判されるポイントは、
デフォルメの副作用と同じです。
実際の批判の言葉が分かりやすい。
「侮辱するな!」
「バカにしてる!」
「悪意しかない!」
明らかに、
「意図」に対する批判ですよね。
例えば、
ゆりやんさんのネタ。
これは、
18年前のドキュメンタリー番組『スーパーテレビ情報最前線』(日本テレビ系)での浜崎あゆみさんの発言の真似だそうです。
「なぜ歌を歌い始めた?」との質問に対しては、
「居場所が欲しかったから」。
一人のアーティストのドキュメンタリー番組における発言としては、
普通に"あり"です。
でも、
ドキュメンタリー番組の様な特殊な状況を排除して、
冷静に考えると"なし"でしょう。
例えば日常会話で、
「俳句やってるんだって?何で俳句始めたの?」
「……居場所が欲しかったから、、、」
冗談としてはあり得ても、
普通の日常会話でこのように返す人がいたら、
引きますよね。
"ドキュメンタリーらしさ""あゆらしさ"も、
そこだけ切り取るとディスコミュニケーションだからこそ笑える訳です。
「モノマネ本来の笑い」として、
客体のディスコミュニケーションで笑わせる面があるのは間違いありませんね。
浜崎あゆみさんの声や話し方を過剰に真似るのも、
それ自体がモノマネである以上に、
発言のディスコミュニケーションをより強調して見せる効果が大きいと思います。
つまり、
「モノマネ」という名目でのこのネタは、
モノマネの客体の言動をディスコミュニケーションと捉えている事を前提として、
さらにそのディスコミュニケーションを強調、拡大提示して笑いにしていると認識され、
その拡大提示に「揶揄」「バカにする」等の「意図」があると捉えられている訳です。
< 基準 >:モノマネする意図
< ズレ >:揶揄する意図
<ツッコミ>:「バカにしてるやろ!」
少なくとも、
こう受け取って笑った人が多いでしょうし、
こう受け取るからこそ批判もありうる訳ですよね。
□□□□□□他解釈□□□□□□
実際は分かりません。
ゆりやんさんは、
「(浜崎あゆみは)めちゃめちゃ憧れている人」と述べましたし、
キンタロー。さんは、
「悪意なんて一切ない」と説明しました。
キンタロー。さんと同じ事務所の芸人さんは、
キンタロー。さんの意図とネットの受け止め方に「溝がある」と言っていました。
ただ、その「意図」した笑いの中身が何なのかについては言及されていません。
私のモノマネの解釈からは、例えば、
客体のディスコミュニケーションという「モノマネ本来の笑い」の強調、拡大提示ではなく、
「非モノマネの笑い」として、
モノマネにならない部分を強調していると捉える事も可能です。
そのように捉えると、
これらのネタの場合、
体型やルックスの違いから、
どう頑張っても、
平手友梨奈さんや浜崎あゆみさんの様な、
可愛さ、カッコよさを似せる事が出来ないという事(非モノマネの笑い)を強調していると言えるでしょうか。
解釈としては、
「揶揄」とは真逆の「自虐」ともいえます。
客体の下方評価ではなく、
主体の下方評価。
こう考えると、
批判される事ではありませんね。
□□□□□□批判する人こそ□□□□□□
「これは、こういう笑いです。そのつもりで笑って下さい。」
と、わざわざ説明される事が無い以上、
笑いの解釈は受け手に委ねられます。
でも、
「客体のディスコミュニケーション」の拡大提示を批判するという事は、
批判する人自身が、
「客体のディスコミュニケーション」が存在する可能性を認識している事が前提でしょう。
要するに、
芸人さんの意図の如何とは関係なく、
「客体のディスコミュニケーション」が笑いになっていると受け取っているのは、
批判している人達自身な訳ですね。
また、
「ふざけるな!」
「似てない!」
という言葉で批判する人がいますが、
「非モノマネの笑い」に対して、
この言葉は批判になりませんし、
そもそも、
ふざける事を批判するという事は、
ふざけずに完コピして、尚且つ笑いにする事を期待しているって事?
ふざけずに完コピして笑いになるなら、
それは「モノマネ本来の笑い」そのもの、、、
つまり、
ネタの客体の「浜崎あゆみらしさ」「平手友梨奈らしさ」のディスコミュニケーションだけで笑わせるっていう事なんですが
、、、それで、いいんでしょうか?
□□□□□□おわり□□□□□□
ふざける方が、
「非モノマネの笑い」の可能性を残し、
リスクヘッジにもなり得るので、
モノマネで笑いを獲る芸人さんとしては、
こちらを選択するのが正解のはずなんですが、、、
逆に、
意図を感じさせる副作用も大きくなる訳ですね。
意図を感じさせるからこそ面白くなるけど、
意図を感じさせるからこそ批判される、、、
笑いって難しいですね。
……と、ここまでの(1)~(6)はモノマネの笑いの一般論。
本題は渡辺直美さんのネタに言及するリテラの記事の主張なのですが、、、
以下次号、、、
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