面白くする工夫はいろいろ。
駄洒落ネタついでに、
ちょっと古い本から、、、
□□□□□□駄洒落は笑いじゃない?□□□□□□
前々号、前号で、
駄洒落の笑いに関して考えました。
駄洒落は、
「似通った音の言葉」ですが、
別に「音が似通っている事」が面白いという訳ではありませんよね。
ラップで韻を踏んでいても別に笑わないでしょう?
「音が似通っている事」が面白い訳ではない以上、
駄洒落を笑いにするには、
「音が似通っている事」以外に、
「駄洒落の言葉の意味」で、
何らかの「笑いのフォーマット」を作りたい訳です。(←前号記事を読んでください)
でも普通、
そんな事を考えながら駄洒落を言う訳じゃありませんよね。
たまたま「似通った音の言葉」を思い付いて、
それを口にしたからといって、
そこに「笑いのフォーマット」が存在するとは限りません。
だからこそ、
この記事で考察する下記の本の中で○○さん(後述)も言ってます。
○○:「そもそもダジャレだけで爆笑なんてことは90 %以上ないから。」
私達が日常出会う一般的な駄洒落において、
「駄洒落の言葉の意味」に「笑いのフォーマット」がある事は稀って事です。
□□□□□□駄洒落は笑い?□□□□□□
…にも関わらず、
駄洒落を聞けば、
笑いを意図している事はわかりますよね。
何故?
「求められていないにも拘わらず、わざわざ必要ない駄洒落を言う事」自体が、
ディスコミュニケーションだからでしょう。
「駄洒落の言葉の意味」とは関係無く、
「駄洒落を口にするという事実」そのものが「笑いのフォーマット」を提示している訳です。
< 基準 >:駄洒落を言う必然性が無いにも拘わらず
< ズレ >:駄洒落を言う
<ツッコミ>:「何で今駄洒落やねん?」「何上手いこと言うてんねん!」
だからこそ、下記の本の中で□□さん(後述)も言ってます。
□□:「ダジャレ言ってた人に対しての突っ込みって『ダジャレかよ!』とか『ダジャレ言っちゃったよ』くらいしかないだろ?」
「駄洒落の言葉の意味」とは関係無く、
「駄洒落を口にするという事実」そのものに対して、
「何言ってるんですか!」
「ダジャレかよ!」
「ダジャレ言っちゃったよ!」
と突っ込むくらいしかない訳です。
ウケるかどうかに関わらず、
この「必然性が無いにも拘わらず……」という逸脱が存在するからこそ、
日常会話で駄洒落を言えば、
それは笑いを意図していると理解してもらえます。
でも、
それだけではなかなか笑いにはなりませんね。
それを強引に笑いにするため、
○○さんと□□さんが見つけ出した苦肉の策?が、
さまぁ~ずの『悲しいダジャレ』です。
ちなみに上記の発言は、
○○が大竹さんで、
□□が三村さん。
単行本が出たのは2003年。
古い本ですが、
考えてみます。
【以下のネタと発言は、
『さまぁ~ずの悲しいダジャレ』(宝島SUGOI文庫)から引用】
□□□□□□悲しいダジャレ□□□□□□
その基本型は、、、
普通のダジャレを言った後に、
悲しい補足情報を一言を付け加える、、、
そして、それに対して突っ込む。。。
本の最初の方から幾つか引用。。。
○イスに座っていいっスか?
死んだ店長の
→言わなくていいよ
「死んだ店長の」とか!
思い出しちゃうだろ、
笑顔の店長をよー。
○ふとんがふっ飛んだ
屋根ないから
→どこで寝てんだよ!
ふとんがふっ飛んだだけでいいじゃん。
だいたいなんでふっ飛んだの?
ずれた、じゃなくてふっ飛んだんだ。
○ネコが寝込む
永遠に…
→死んだのか?
○サルが去る
この世から…
→死んだんだ。
○ウメってうめぇな~
今、夜逃げの途中だけど
→ウメ食ってる場合じゃないだろ!
逃げきってから食えよ!
疲れとってんだ。
○花に話しかけた
オレ、今仕事ないよって
→枯れちゃうよ。
花に言っても始まらないから
探しなさい、仕事を。
○電話にでんわ
そりゃそーよねー
あの人もう居ないんだから
→じゃ、かけんなよ、引きずりすぎ。
○チョコをちょこっとなめる
…また明日なめる
→食えよ!なめてねえで。
明日またなめんなよ!
○花が華やかに咲いた
オレ今仕事ねえけど
→まだ仕事ないのかよ!
探せよ必死に。
花とか咲かせてないで。
○ネギを
値切る!
夜中まで
→長いよ!
もうそれ以上
まけらんないから。
ネギだぞネギ。
□□□□□□悲しいのに笑い?□□□□□□
試しに、
駄洒落部分だけ読んでみてください。
くだらないでしょ?
それを強引に笑いにするために、
「駄洒落」とは別に、
「笑いのフォーマット」を「後付け」する手段が、
「悲しい一言」による補足情報の付加。
笑いにする手段が、
何故「悲しい一言」か?
「悲しい一言」が「駄洒落のあるべき姿」から逸脱しているからですよね。
上述のように、
「駄洒落は笑いを意図している」という共有された理解があるから、
「駄洒落のあるべき姿=笑い」という「基準」から逸脱する事で笑いを作れる事に気付いたんですね。
「ダジャレ」が「基準」で、
「悲しい一言」が「ズレ」。
笑いを意図しても、
笑いにならないから、
あえて笑いから離れたら、
それが笑いになる、、、
笑いじゃない内容に「笑いのフォーマット」が成り立つ訳です。
< 基準 >:(駄洒落を言うという事は)笑いを意図するはずにも拘わらず
< ズレ >:笑えない事を言う
<ツッコミ>:「何でそんなん言うねん!」「笑えへんやろ!」「涙出るわ!」
「笑い」って複雑です。
□□□□□□落差拡大1□□□□□□
付加した「悲しい一言」が「ズレ」であるなら、
「基準」は「悲しさ」から離れている程、
落差が大きい事になりますね。
「基準」である「駄洒落の笑いの意図」がより伝わる様に、
「明るさ」を強調した方がいい訳です。
大竹:「実際に使うときのポイントは、ダジャレ自体は明るく言う。ダジャレは楽しいもんだから。」
三村:「最初っから悲しい読み方しちゃダメなんですよ。」
正論ですね。
□□□□□□落差拡大2□□□□□□
逆もまた真。
「ダジャレ」の「明るさ」と、
「悲しい一言」の「悲しさ」の間の落差を笑う訳ですから、
「悲しさ」をきちんと伝える事も大切ですね。
大竹:「『椅子に座っていーすか』って楽しそうに言っておいて。」
三村:「で、そのあと少しくらくなって。」
大竹:「『死んだ店長の 』。そのときは死んだ店長を完全に思い出してる状態です。」
大竹:「まず『悲しい』わけだから、言ったあとに一度シーンとさせるつもりでいてください。」
三村:「悲しいわけだからね。『この人はなんで、付け加えたんだろう? なんでそんなこと言ったの? 下のいらないじゃない?』って。」
これも正論。
□□□□□□突っ込みの役割□□□□□□
笑いのために効果的なはずの「一度シーンとさせる」ですが、
伝わりにくさもあるようなので注意。
三村:「多分、一個目を聞いた時はキョトンとすると思うよ。悲しいダジャレはじわじわくる感じだから。」
大竹:「だから女性に言うときも、1回でめげずに3回、4回と言い続けてください。もしすべっても30分ぐらい我慢して。」
聞き手が、
「ダジャレ」の段階で終止符をうってしまうと、
「悲しい一言」の付加に、
新たな「笑いのフォーマット」を感受しにくい訳ですね。
そんな時こそ、
突っ込みが効果的。
三村:「でもそういうツッコミもセットの方がよりいいんだけどね。」
大竹:「注意してくれる人が大事だからな。合コンで悲しいダジャレ言っても、すかさず『なんでおまえ、後ろ悲しいセリフつけてんだよ』って誰かがつっこまないと、そのまま悲しく終わっちゃうからな(笑)。」
「悲しい一言」が作り出した「笑いのフォーマット」が感受されない場合、
ツッコミによる再提示が必要という事です。
□□□□□□「悲しいダジャレ」ありき□□□□□□
ネタによっては、
この突っ込みの役割が不可欠です。
そもそも「悲しいダジャレ」って、
駄洒落部分や補足情報の一言に、
必ずしも「悲しい」という評価が明示されている訳ではありません。
まぁ、明示されていなくても、
補足情報が「死」「貧乏」「無職」などの場合は、
「悲しい」という評価に直結するでしょう。
○花に話しかけた
オレ、今仕事ないよって
これだったら、
すぐに「仕事が無い=悲しい」ってわかります。
しかし、
客観的には「悲しい」という評価に直結するとは限らない、
ニュートラルなものもあります。
○チョコをちょこっとなめる
…また明日なめる
考えようによっては、
「チョコが好きだけどダイエット中だから一日一粒にして、ゆっくり味わって食べる」
という意味と言えなくもない。
○ネギを
値切る!
夜中まで
農家や卸からの大量買いの交渉なら不思議じゃありませんよね。
この本の読者であれば、
「悲しいダジャレ」が前提なので、
貧乏だからだろうと、
「悲しさ」を感じてくれるでしょう。
その前提が無い場合、
ツッコミでリードする事が有効。
○チョコをちょこっとなめる
…また明日なめる
→食えよ!なめてねえで。
明日またなめんなよ!
○ネギを
値切る!
夜中まで
→長いよ!
もうそれ以上
まけらんないから。
ネギだぞネギ。
明示されている訳ではありませんが、
一つのチョコを何日かに分けてなめるとか、
一本のネギを値切るとか、
貧乏な悲壮感を感じさせた方がいい訳です。
□□□□□□悲しさと思わせてこそ□□□□□□
その事はさまぁ~ずさんも自覚。
「悲しい一言の法則」を聞かれて、、、
大竹:「これは作るときの考え方でもあるけど、法則はあるよね。」
三村:「ダジャレ自体にヒントが隠されてる場合もあるよね。『プロレスラーってすごいですよねぇ。はい、プロれすから』ってダジャレがあったら、これの言葉の意味を考える。」
大竹:「そうすると、この『プロれすから』って言ってる人は、ろれつが回ってない人って考えられるんですよね。」
三村:「それが悲しい。」
大竹:「ダジャレなんだけど、普通の文として見て噛みしめる。『プロですから』だよなあ、なんで後半言えてないんだろうって考えると、正解が導き出される。ヘロヘロになってろれつが回ってないんだなと。こいつは酔っぱらってるか、他に理由があるということになる。」
三村:「『ビールが胃にしびーる』とかもね。胃に染みるということはどういうことか、なんかよくないことだな、病院関係か?ってね。」
大竹:「それか、出所したてだとか。
三村:「二日、食ってねぇだとか。『鯨くん、今何時?九時ら』とかでも……。」
大竹:鯨もちょっとろれつが回ってない。
三村:「『ごめんね、俺どうしても"だ"を"ら"って言っちゃうんだよ』っていう人もいる。」
大竹:「揚げ足取りというか、あら探しにも近いところがあるけどね。」
三村:「実はダジャレと悲しい一言は連動してるんだよな。」
大竹:「連動してないように見えても、実はしてるんだよ。例えば『チョコを食べる、ちょこっとね。親、離婚してるけど』。」
三村:「それ連動してるのかよ。」
大竹:「本当はいっぱい食べたいんだけど、ちょこっとしか食いたくない今の心境はって考えると、親が離婚してるから。」
三村:「当てらんねぇよ。」
大竹:「深いねぇ。」
「悲しさ」を想像出来てこそ面白い訳です。
でも、
その「悲しさ」が曖昧なのは間違いありません。
そういうネタで、
「悲しい」という価値判断をハッキリさせるのも、
突っ込みの役割です。
三村:「でも、この悲しいダジャレが日常化すると、ツッコミ師としては腕が見せられることになるんだよ。」
まさにツッコミ師の腕の見せ処です。
□□□□□□阻害要因□□□□□□
補足情報は悲しい一言だからこそ笑いになるのですが、
悲しいだけに笑いの阻害要因になってしまうリスクもあるようです。
三村:「あと悲しすぎる言葉もあんまり使わないな。」
大竹:「悲しい言葉がどぎつすぎるのも、あまりおもしろくない。『ガンだけど』とか。」
三村:「テレビで『ガンはあんまりなぁ』って言われてやめた。まあそういう規制みたいなので逆によくなったパターンもあるけど。」
大竹:「だったら『死んでるけど』のほうがいい。死ぬのは全員経験できるから。」
的を射た指摘だと思います。
「ガン」という言葉で想起する具体的なイメージが、
「笑いのフォーマット」の感受を阻害するという事でしょう。
こういう言葉の感覚は微妙ですね。
□□□□□□どっちが先?1□□□□□□
三村:「最初に考えたときって、悲しい部分ってケツじゃなくてアタマについてたんだよな。『死んだ店長の形見の椅子に座っていーすか』って。」
「駄洒落」と「悲しい一言」の落差が笑いになるなら、
順序は関係無い様にも思えます。
「悲しい一言」が先にある場合は、
ただ駄洒落を言う場合より、
「駄洒落を口にするという事実」がより不自然になると言えるでしょうか。
「必要が無いにも拘わらず駄洒落を口にする」よりも、
「悲しく駄洒落なんか言う状況じゃないにも拘わらず駄洒落を口にする」方が、
振り幅が大きいでしょう。
だから、
「悲しい一言」の前置にも意味が無い訳ではありません。
これはこれで一つの笑いです。
ただ、「悲しい一言」の前置は、
「駄洒落を口にするという事実」がディスコミュニケーションになっているという意味では、
普通の駄洒落と同じですね。
突っ込みの言葉も基本的には同じになります。
「何でダジャレだよ!」
大竹:「それがいちばん最初のネタです。前の『死んだ店長』はいらないだろう、『寝たきりのおじいちゃんの布団がふっとんだ』って、『布団がふっとんだ』だけでいいんじゃないのって、それが始まりですね。」
大竹さんの指摘はそういう意味で正しいですね。
それに対して、
「悲しい一言」が後に来る場合は、
「笑いのフォーマット」の「基準」と「ズレ」が逆になるので、
「何を笑うか」は別。
ただ、
「笑いのフォーマット」は違いますが、
理屈上の振り幅は同じとも言えます。
「基準」と「ズレ」が逆になってるだけですからね。
□□□□□□どっちが先?2□□□□□□
それよりも、
「悲しい一言」と「駄洒落の元の言葉」と「駄洒落の言葉」の切れ目が難しいと思います。
■「悲しい一言」前置の場合1
A:死んだ店長の……イスに座っていいっスか?
「笑いのフォーマット」的にはここで切りたい訳ですが、
不自然でしょう?
■「悲しい一言」前置の場合2
A:死んだ店長のイスに……座っていいっスか?
「駄洒落」が分かりにくいでしょう?
「悲しい一言」と「駄洒落の元の言葉」がくっつくと、
「駄洒落の元の言葉(イス)」と「駄洒落の言葉(いいっス)」の対比を把握しにくいですね。
瞬間的に駄洒落を認識されないと、
笑いの瞬発力が無くなる可能性があると思います。
■「悲しい一言」後置の場合
B:イスに座っていいっスか?……死んだ店長の
「悲しい一言」を倒置法で後置する方が、
「間」を作り易い利点があります。
駄洒落の段階で言いたい事は終わったと感じるので、
その後に「間」がある事は自然です。
しかもその「間」が、
「笑い待ち」を感じさせるので、
笑いの意図への期待を醸成しますよね。
付け加える一言の逸脱感を、
より大きく感じさせると思います。
三村:「それが『ネコが寝込んだ。永遠に』くらいから悲しいのがケツにつくようになって。永遠にって何だよ、一言多いんだよって。」
「何でダジャレだよ!」ではなく、
「一言多いんだよ!」と突っ込むのが自然な事から、
「基準」と「ズレ」が入れ替わっている事がわかりますね。
□□□□□□完成形□□□□□□
補足情報の「悲しい一言」を追加しなくても、
「悲しいダジャレ」になる事もあります。
三村:「でも悲しい一言を付けないほうがすっきりしてて良かった、その時点で面白いから、みたいなのもあるよなぁ。」
大竹:「『大好きだった犬が、今はもういぬ』とかね。これはこれで悲しいダジャレとして完結してる。付ける言葉が特にない。」
「駄洒落の言葉の意味」そのもので「悲しさ」が表現出来ている場合は、
「補足情報の一言」は必要ありません。
その場合、
「駄洒落を口にするという事実」と、
「駄洒落の言葉の意味」に、
逆向きの「笑いのフォーマット」が同時に成り立つ事になります。
○大好きだった犬が、今はもう居ぬ
→悲しいよ!ダジャレにすんなよ!
「悲しい話」にも拘わらず、
「駄洒落を口にするという事実」に対して、
「ダジャレにすんなよ!」
「ダジャレを言っている」にも拘わらず、
「今はもう居ぬ」という「駄洒落の言葉の意味」に、
「悲しいよ!」
逆向きの二つの「笑いのフォーマット」に、
律儀に両面から突っ込んでいます。
□□□□□□まとめ□□□□□□
「似通った音の言葉」を思い付くと、
「駄洒落」としてすぐ口にする人も多いでしょう。
でも、
その「駄洒落の言葉」に「笑いのフォーマット」が付属するかどうかまで考えないですよね、普通。
……かと言って、
「笑いのフォーマット」が付属する事を前提として「似通った音の言葉」を考えるのはもっと大変です。
「悲しいダジャレ」は、
その大変さの裏をかいた方法。
なにしろ、
「悲しいダジャレ」と言いながら、
笑いを作るのは「ダジャレの言葉」の方じゃなくて、
「悲しい一言」の方ですからね。
「駄洒落の言葉」で笑いを作るのをあきらめて、
「笑いのフォーマット」を後付けする事にして、
しかも「悲しい一言」という定型にする事に成功した訳ですね。
加えて、ツッコミで面白く出来る。
使えるメソッドだと思います。
□□□□□□追補□□□□□□
凝った一言を作る必要もありません。
悲しければいい。
試作してみました。
○布団がふっとんだ
室温は氷点下だった
→死んじゃうよ!まず、エアコンつけろよ!とりあえず、ヒートテック重ね着して、ダウンとか着とけ!
○布団がふっとんだ
一枚しか無いのに
→一枚しか無いの?今夜どーすんだよ!
○布団がふっとんだ
そして泥の中へ
→うわぁ~!汚れ落ちっかなぁ?クリーニング代かかるなぁ~!
○布団がふっとんだ
そして溶鉱炉へ
→秒殺だよ!絶対もう無いじゃん!買わなきゃ!
本当、シンプルです。
……でも、正直言うと、
「悲しい」に拘る必要もありません。
付加する一言で、
新たな「笑いのフォーマット」を提示出来ればいいだけです。
「駄洒落を言う事」に「笑いの意図」という「基準」を見出だして、
そこから逸脱する「悲しい一言」で「笑いのフォーマット」を作るのが「悲しいダジャレ」。
でも、「駄洒落を言う事」ではなく、
「駄洒落の言葉」に「基準」を見つけ出してそれから逸脱して「笑いのフォーマット」を作る事も出来ます。
ツッコミで再提示した場合いいでしょう。
試作。。。
○布団がふっとんだ
だいたい5センチくらい
→それは"ずれた"だろ!寝てるヤツ気づいてねーわ!
○布団がふっとんだ
そのまま、すやすや眠る赤ちゃんの上にふんわりと、、、
→ちょうどよかったじゃん!しかも"ふんわり"って優しいな!
「5センチ」とか「ふんわり」とかが、
「ふっとんだ」の語感から逸脱していますね。
○布団がふっとんだ
30秒後、高級羽毛布団になって帰ってきた
→得しちゃったよ!……っていうか、30秒?えっ、30秒?絶対、近所じゃん!
これも「ふっとんだ」の語感から逸脱。
「ふっとんだ」という単語自体は、
物理的な意味しか無いと思いますが、
「不可逆的」な「マイナスの結果」をイメージするのではないでしょうか?
「高級」になり「帰ってくる」のは、
二重に逸脱していますね。
加えて、上記ツッコミでは、
普通は着目しないであろう部分に、
「笑いのフォーマット」を作り出しています。
○布団がふっとんだ
……って、担任の先生がドヤ顔で言った
→ドヤ顔で言うやつじゃねーよ!絶対、先生バカにされてるよ!
○布団がふっとんだ
……って、校長先生がドヤ顔で言った
→校長もやっちゃったか~!朝礼か?全校生徒の前か?
「駄洒落を口にするという事実」でも「駄洒落の言葉の意味」でもなく、
「ダジャレのクオリティ」から逸脱。
ドヤ顔で言うクオリティではないですね。
まぁ、これはこれで「悲しい」かな?
m(__)m