***前回の記事、その⑪より続きです***
員弁川に架かる黄金大橋橋詰にいます。
眼下に架かる旧道とおぼしき道の旧橋とおぼしき橋を見おろします。
今日は時間がないのでやや距離が長くりそうな旧道はスルーして黄金大橋を渡りますが・・・。
上から見ると欄干もガードレールになってるし特にどうということはなさそうな橋ですが、・・・その割には親柱は立派なのが立っているな~どうやら改造されたかな。
うーん、見に行けばよかったかな。
橋の名前は「三当橋」なのは調べられました、やっぱり黄金大橋なんて名前は最近ぽいもんね。
「三当」の由来はわかりません、結構重要な橋なのですが。
ってことを思いつつ・・・橋を渡ると歩道がなくなってしまった。
街道ウォーカーの皆さんはこれくらい路肩と白線の間があれば余裕だと思うでしょ?
でもこの道、高速を使わない関西中部間の物流の重要な道なのでしょうか?
大型トラック率が5割くらいあるんです。
しかも歩行者も自転車もいない、信号もない、起伏があって坂なのでスピードは緩めたくないのでアクセルぶんぶん踏んずけてぶっ飛ばして走ってくるんです。
写真の奥に見えるコーナーなんて前から来る大型トラック平気で路肩の白線踏んで走ってきてます。
インを突く素晴らしい魅惑のコーナリングです、が、マジでこちらは命の危険を感じます。
そう、「いなべ高速」ですこれ。
幸い車の数は少ないのでコーナー手前で耳を澄ませて待機、対向車の爆音エンジン音が聞こえなくなったら駆け足で一気にコーナーをクリアしました。
すぐに歩道が復活してたので助かりました・・・。
ホッとして歩きだすと道路わきの工場に桜並木。
ドライバー御用達休憩所、篠立パーキング。
チェーン脱着場所も兼ねてるんでしょうが、こういう感じのパーキングって少なくなりましたね。
ベンチとテーブルがあったのでここで桜を見ながら休憩&おにぎりにしました。
急げども少しは休憩せねばね。
パーキングの横にはグランドとかあってさらに公園?的なエリアも。
恋人たちの聖地的スポットが。
ちょっと荒れ気味なので恋人たちはまず行かないだろな~。
すぐに国道離脱、ホッとするわ~。
さてこの後のルートですが、地形図では道は繋がってるのですがこの区間通ることができるのか不明な区間です、どうかな。
ストビューではチェーンの掛かった道が存在はしてますが航空写真では行ってみないとわかりません。
問題のルートはここですが・・・門柱みたいなのと道標、二つの石物が建ってます。
まずは大好物の道標をチェック、ストビューでは詳しく読めませんでしたが道標ですね、左、とあります。
・・・左 風穴道、ですか!
地名かと思ったら風穴とは。
ここから山の方向に入った所の「篠立の風穴」を案内する道標でした。
現在は風穴は立ち入り禁止になってるようです。
武田関?間?門?太郎さんありがとう。
大正10年の道標です。
後ろの文字は読めませんでした。
そしてもう見えてますが後ろにあるさらにでかい石物は。
「第一・二塲」とあります、「塲」は場の異字でした。
風穴に隣接して石灰の鉱山だった施設があったとのことでその門柱?と思われる遺物です。
大正10年頃創業ということで、そのころこのあたりは賑わい風穴も見に来る人があったのでしょうか。
この道には素晴らしい石垣が見られます、文化遺産です。
途中にお地蔵さまのお堂、花も飾られています、使われない道ですが今でも大事にされているようです。
落ち葉の積もった道を抜けると当初心配していた位置の目的の道まで無事出ました、やれやれ。
引き返す形でこちらに行くと篠立の集落の一番奥に出ることができます。
途中に古い電柱というよりは当時は送電線塔?。
集落が見えてくると両側にここにも石の門柱のようなものが!
「皇紀二千六百年記念建之」
調べてみると昭和15年のことで、全国的に盛大にイベントが催された年だそうです。
「白石工業株式會社」
こちらもこの先は鉱山という石柱なのでした。
鉱山跡は廃墟的構造物が残りそちらの好きな方には知られたところだということです。
ここから篠立の集落、山間の街道沿いの集落で国道にもトレースされていないのです。
これは静かでよさそうな雰囲気。
羽田あった!
これはあまり見ない珍しい正方形の羽田看板。
鉱山には若い人も多かったろうから結納の宣伝には良い場所でしょう。
数か所、こうしたベンチが置かれています。
「ちょっとひと休み・・・」誘われますが時間がないよ~。
醤油とお酒の容器らしい陶器が。
多くに人が働いていた時代のものかな。
のどかに歩きます、車も通らないし誰にも会わない。
長楽寺道標、江戸期の物です。
「くわんおんミち」と書かれています、解説板アリ、ありがとう。
その「くわんおんミち」。
山の中腹やや小高い場所のお寺まで、正直歩いてみたい参道ですが涙を飲んでスルーです・・・。
こちらは集落内の別のお寺も桜。
被せ屋根のこちらは元は商店だったようです。
鉱山全盛期には賑わったお店なのかも。
Googlemapにもある知る人ぞ知る的なそば屋さん、拘留孫とは背後の山の名前です。
営業日は週二日・・・本日定休日の看板が。
どうせ時間ないし、と強がって進みます。
白い屋根の被せ屋根はどうやら元御菓子屋さん。
「くわんのんミち」道標の長楽寺の現代人用参道入り口はここ。
坂道を歩いて登れない車漬けの現代人のためにトラバースして登る車道がちゃんとあります。
例の石造りの高札場みたいな超立派な掲示板。
これは昭和三年製で、大正から昭和までかなり長い期間この高級掲示板が作られていたんだなあ。
このあたり鼻歌まじりでの歩き中。
おおこれはなんと見事な桜、今日いちばんの桜の木。
枝垂桜と染井吉野の共演でした!
そんな篠立の集落を抜けると少しだけ木々の間を歩いて。
学校の跡地の裏に出ます。
旧立田小学校跡にも当時は入学式を祝っただろう桜が満開。
ぽつねんと立つ金次郎さんと百葉箱(この言葉何十年ぶりに使った笑)。
あ、なんか石柱が建ってますなんだろ?
「北鮮金剛山松毬の木」、昭和十一年のものです。
「松毬」とはまつかさ、松ぼっくりのことと調べはつきます。
朝鮮半島の金剛山の松が植えられていたのかな。
学校跡の裏、山手には清水神明社。
明治42年に村内のいくつもの神社を合祀しての神社とのこと。
「立田村の歌」という石碑。
村の歌なんてあったのですか、我が市には無いなぁ。
どこまでも桜、ちょっと花粉が気になりだしましたが草井道の時よりはマシです、続きます。