前回あとちょっとのとこでバスの時間が迫ったということで切り上げた目的地、高須の町。
なので、改めて今日は車で訪ねて、高須街道歩きグランドフィナーレとします。
まずは海津市歴史民俗資料館でお勉強です。
建物はお城か代官所かをモデルに作られてるのでなかなか貫禄があります。
この外にあった堀田ってなに?というのもお勉強後は何かわかりました。
こんな機関車も。
これも河川改修時に使われたもの。
こういう施設は大体どこでも弥生時代の土器やら古墳やらから始まるのが定番で、ここもそういうのから始まります。
あとは近代の農機具やら初期家電やらなんやら、そういうのもやはりありましたが・・・。
ああもう黒電話は歴史上のもんなのか笑。
見どころは水との闘い、木曽三川の洪水と治水と生活の歴史で、これは見ごたえがありました。
この明治の木曽三川河川改修の計画の図面、すごいわー。
一番上に見える緑の川は閉めきられる前の佐屋川。
真ん中の当時は合流してた木曽川と長良川は隣りあわせに川を作って分流。
長良川と揖斐川上流のつながってる河川は締め切り。
いくつもの村が川底に沈むなんというスケールの大きな工事だったのか。
これを印刷して手ぬぐい作ってくれたら買います、グッズ販売してください、海津市さん。
掘った部分は水があって土を盛ったとこで田んぼにする掘田(外で再現してたやつ)。
こんな景色が自分らが生まれたころ(昭和40年台)にはまだあったんか~。
洪水年表を見ると江戸時代とか平均すると5年に1回位決壊してるじゃん、堤防。
そして最上階は高須藩関係の展示で、靴脱いでのお城再現エリア。
いやこんな能舞台はなかったはずですが笑。
書院とか、入りたいなぁ。
これは有名な写真。
高須松平家の家紋はこれ、普通の葵紋よりカッコいい。
街道とかの展示は無かったけどなかなか充実した展示でした。
さあ歩きますか。
擬似お城ですが川側から見たほうが角度的にいい姿。
では、前回中断したこの橋からスタート。
お、いきまりそれっぽい雰囲気が漂ってきたよ。
振り返り。
街道、というかもう城下町に入ってるのです。
鳥居があるけど、この石はなんかわからん。
どんどんいい感じになってきた。
高須別院の入り口の標柱があったので行ってみる。
さすがお殿様寄進のお寺だけあって立派。
参拝したら街道に戻ります、益々いい感じ。
突き当りました、右に行けば高須城で、左を見れば城下町のメインストリートのような道。
ここの通りの左側の家々はよく見ると少しずつズレてギザギザの稲妻の模様のように立ち並んでます。
こんな感じ。
城下町が敵から攻められたときにここに兵が隠れて戦うようになってるんです、へー。
町中に水路が張り巡らされていてこれもきっと城下町の防御のための水堀だったんだろなぁ。
ここも高須松平家と関係の深い高須稲荷神社。
左からお稲荷さん、こんぴらさん、八幡さんが並んでます。
お殿様の筆による額、達筆だ~。
葵紋も見られます。
八幡さんの前には大きなイチョウの木。
お城の跡の方向に行ってみます。
紅い橋が主水橋という橋です。
昔、主水さんという家臣のお屋敷が前にあったから付いた名前だとか。
主水橋のすぐ前の角地は立派な石垣の更地でした、ここか?ここにお屋敷を立てれば現代の主水さんになれそうです・・・。
ポケットパーク、ここから先、大江川までが高須城の中枢のエリアだったようです。
ここにも水堀があったはずです。
一本北の通りの公園にも城跡の碑。
ここで高須街道踏破ということにします。
お城から城下の町家の方向を見るとこんな感じ。
町人エリアのメインストリートは高い土地になってます。
輪中の町ならではかも。
ぷらぷら歩きながら戻りますか。
江戸風情ばかり探してしまうけど、昭和感もある。
こういう渋いご町内マップも見なくなったね。
高須は犬山なんかとは違い観光とはほぼ無縁ですが、城下町の風情はなんとか残ってます。
ここに来るまでの高須街道は、堤防は歩けず、東海大橋を渡るとほとんどなんもない、
道を失ってばかりの街道でしたが、最後の最後に報われました。
東海大橋手前の道標にあったもう一つの行き先「今尾」という町にもちょっと興味があるので
(今尾藩という小さい藩があったらしいのです)
いつか行ってみたいと思ってますが、とりあえずは今回はここでフィナーレとします。
この日のお土産。
↑GPSログ見返すと、あー、町の南の方歩けてなかったのは失敗でした・・・。