旧長良川堤防の形にカーブする130Rのような田んぼ道をどんどん歩きます。
現在地点はここ。
目標の塔のあたりに目的地の「長良川旧堤防」があるはずです。
集落が近づいてきて、なんか石物があります。
御霊神社一の鳥居跡ということです、ああ、とおーくに鳥居が見えるからあそこかな。
ちょっと遠すぎるのでスルーで。
ここに一の鳥居があったということは、この道は昔にはそれなりの主要道だったんだろと思います。
そしてようやくそれらしい土盛が、どうやらここだな。
旧堤防は神社になってるから現代まで残ったんだろな~。
ちょっとお行儀が悪いですが裏手から入り込んで参拝・・・。
見事に土手の参道としての堤防。
右手には現堤防がどーんと貫いてます。
なんとここも御霊神社なのでした。
さて、折り返して左岸堤防跡に向かおうとしましたが、よく見るとなんか石物が社殿裏にある。
水準点かぁ。
しばらく来た道を戻り、旧河床を渡って今度は左岸堤防跡を上流に向けてたどります。
現地ではホントはよく理解できてなかったのですが、明治の古地図では赤い線が左岸古堤防です。
そして今日、旧右岸堤防跡から見えてた段差は青いライン。
赤いラインに向かいます。
今日唯一見た解説板。
河川改修で流路が変わり、でも市境はそのままなので海津市域に羽島市の飛び地ができちゃったという解説でした。
現堤防沿いを行くと、ん?道がやや高くなってきた。
ここだ~。
矢印が旧左岸提です。
お寺とお稲荷さんがある十字路をよく見ると、なんと望外の道標があるよ!
右わたしばみち。
写真では見えにくいですが「右いなりみち」でした。
こちらは「左わたしばみち」
大正六年設置。
この場所が先ほどの解説板にあった小藪の渡しの場所なのでした。
今昔マップで見ると大正のこのころはまだ河川付け替え中で新旧両流路が書き込まれてる。
渡し場がどちらを指してるのかイマイチわかりません。
「いなりみち」はやっぱりここから程近い超有名なあのおちょぼ稲荷(千代保稲荷神社)ことかな。
お寺とお稲荷さんの間の旧左岸提をさらに先へ。
こちらもいい感じで曲線を描いてます。
牧場が!
牛さんにガン見されて少し怖かった。
そしてなんとこちらの堤防も神社に行き当たります。
八幡さんですね。
横から見るとこんな感じで、参道が高くなってます。
ここもやはり古堤防の名残なんだと思います。
そしてこの神社で、ぷっつりと堤防跡の道は途切れてしまいます。
ならして田んぼになったんだろなー。
現在地点はここ、八幡神社。
ここまで来て、あれ、あの段差はどこに行った?と気が付きます。
思い描いていた右岸提跡から遠くに見えた段差の上にあると思ってた道がない。
県道一号線の方向に歩いてみると、やはり段差がありました。
ああそうか~!この段差は堤として作られたものではなく、長良川の自然堤防なんかぁ~!
この日はここで時間切れで帰途につきましたが、後日自然堤防と思われる段差を見に再訪しました。
段差の下に沿って道がありました。
自然堤防上から旧左岸提の間は水田はなくて住居と畑と畜産に土地を利用してるエリアでした。
まあ水田には向かない土地だよね。
南濃大橋の下をくぐり。
この欅の木あたりが旧右岸堤防のホントの分れ目だったはず。
だいぶ日が傾いてきました。
とくに有名でない土地も何かしらの発見はあって、知らないところを歩くのは面白いです。
山行きたいと思いつつ養老山系を見上げて道の駅に帰り着きました。
そういえば最近おちょぼさんに行ってないなぁ。