岐阜街道を四ッ家追分で右に分けると、踏切までの間に一里塚があったのですが・・・。
交通量も多く危ないところだからか解説板等はありません。
(古い木製の字が消えてしまった表示の残骸は残ってるのですが)
踏切がおりて待ってるとほぼ西濃運輸の専用みたいなブルーにイエローラインの長大コンテナ列車が通ってこれは美しい。
初めて見ました。
ところでこの踏切の名前、JR的には「大垣街道」踏切と名付けています。
美濃路は何度かJRと交差するのですが、ここまで・・・。
枇杷島橋を越えて線路をくぐった時には・・・「名古屋街道」架道橋と表現。
清須宿の北の線路をくぐるところは・・・「美濃街道」架道橋。
フリーダムだな笑。
この先しばらくは街道歩き、史跡探し的にはなにもありません。
国府宮神社一の鳥居あたりまでは地域の幹線道路でもあり、ちょっと退屈。
美濃路は赤矢印の道ですが、このあたり数少ない見所の長束正家邸跡の石碑に行くには一本手前の道(青矢印)を曲がります。
関ケ原で西軍についた長束正家、いつの時点にここに居を構えてたんでしょうか?
そうそう、先ほどから後ろに見えてる塔は三菱電機のエレベーター試験塔です。
この町のランドマークですね、でも企業秘密の塊だし見学等はありません。
いちど登ってみたいー!
173,0メートル(いなざわ)の高さで、遠く藤原岳とかからも見えたりします。
その後街道は市民病院のところを右です。
ここで左を見ると集合住宅の敷地内に解説板。
これより北半町程の辻より美濃路って正確な解説で石の道標、ありがとうございます。
街道脇に松が植えてありますがなんか作ってみたけどどうしようか感。
どうせやるならもっと長い目で見てちゃんと両側に並木に整備してほしいなぁ。
手入れもしっかりして、そしたら100年後200年後にに感謝されてるかもしれません、なんか中途半端な気がします。
なんといってもここは植木の町稲沢なのだから、しかもここは市民病院や図書館、市民会館があって
もしかしたら未来には市の中心部になってるかもしれないところなのだから!
後ろに見えるオレンジの駐車場看板は地元で人気の洋菓子店モン・モ・ディスです、我が家でもご愛用です。
美濃路歩き中に甘いものが食べたくなることがありましたらぜひに。
国府宮神社一の鳥居は堂々美濃路にセッティングされています。
神社はここから北に約900メートル離れてます、わりと遠いです、見えません、すみません、今日はスルーで。
何度も何度も参拝してるから。
でもこの一の鳥居横の常夜灯は古いもので、よくよく見ると楽しいです。
「錦織奉行」だれそれとか。
御飛脚所なんとかさんとか、宮宿、萩原宿問屋なにがしとかいろんな名前が刻まれてます。
美濃路の範囲や近辺いろんなとこからの寄進があったということでしょう。
寺社名も。
妙興寺、そして美濃路歩き途中に見た道標の行き先だった明眼院の名も。
明眼院は現在も残っていてどんなところか気になったので、一度見に行ってみたのは別の機会に・・・。
小沢一里塚跡には解説板あり。
このあたりから急に宿場町の香りがしてきます。
もう、稲葉宿の入り口にあたります。
少なくなった町のいわゆる「レコード屋さん」。
そして見えてきました、稲葉宿本陣跡。
到着です。
正面のお宅の二階の凝った窓、現代にはない昭和テイスト?でいいな~。
2度目の美濃路歩きのスタート地点、稲葉宿に戻りました。
さあこれで美濃路の宮宿(熱田)~大垣宿までの区間を歩き終えました。
残すは最後までとっておいた大垣宿~垂井宿の約10キロを残すのみになります、完歩にリーチ!