美濃路最終回の朝、大垣駅。
さあ行くかー、とザックをまさぐってみると、前日までに作成のコースや見所を書き込んでたマップが無い・・・家に忘れた!
どうしよか、市内以外は何となくは覚えてるけど。
・・・まあなんとかスマホ情報と観光マップでなんとかやってみましょう。
もう帰ることもできんしー。
マップは駅の観光案内所で手に入れたマップ。
美濃路のルートもマークされてて大垣城下町はこれでいけそう。
あとはスマホで・・・。
すでに更新は止まってるのですが、ワタクシの第一次街道歩きブームの時に
コース確認で随分お世話になったちまき亭さんのHPのマップを使わせていただいて・・・。
何とか行ってみます!
今日は大垣宿探索から。
まずは大垣市郷土館で、歴史のお勉強です。
向かう道すがらにもうなんか石物がある。
昔の大垣藩の学問所的なとこの跡でした。
橋を渡る・・・龍の口橋・・・なんか親柱がカッコいい。
大垣大神宮という神社の横を通ったので本日初参拝、今日そしてこれからの無事をお願いします。
立派な常夜灯・・・天下泰平五穀豊穣・・・。
風雨和順水陸安全・・・っていろいろお願いしてます。
嘉永は幕末前夜の頃です。
水陸安全という所が水運の盛んな大垣的な感じですね!
あ、なんだもうお城はすぐ近くじゃないですか。
お城は郷土館のあとに伺います。
こちらが大垣市郷土館。
特別展的なものかな?
正直芭蕉さんと俳句にはあまり興味はないけど関ヶ原合戦にはそそられます。
館内の写真はありませんが、いろんな関ヶ原合戦の屏風の内容の解説は面白い!
それほど広くはありませんが、関ケ原の戦い関係と大垣藩戸田氏の解説が詳しく解説された資料館で、楽しめました。
お勉強の後は大垣城に向かいます。
こちらからだとちょっと裏口からの感じです。
大垣藩祖戸田氏鉄公の銅像に迎えられます。
大垣城も名古屋城と同じく戦災で失われてしまって再建天守です。
が、やはりこうして間近で見上げるととても迫力があります。
昔の武士もこんな景色を見てたんだなー。
石田三成さんも見た景色、大垣城から関ヶ原方向の景色。
いちばん高く見える山が伊吹山です。
なんか変な屋根が見えるのが気になって後で見に行こうと思っていたのに忘れてました笑。
そろそろ美濃路歩きに戻らな。
前回中断ポイント、大垣城名古屋口に行かないと。
でもその前に・・・前から一度行こう行こうと思ってて行けてなかった場所に。
お茶屋さん&喫茶のすいぎょく園さんの名物抹茶アイス、グリーンソフトを食べに立ち寄ります。
歩いて暑い暑いなか、さっぱり目の抹茶アイス美味ーい!
食べてる間もトラックの運転手さんが慣れた感じで降りてきて、グリーンソフトを買って運転席で頬張ってました。
すいぎょく園さん、いつもアメブロで楽しく拝見しているChajinさんのお店。
いきなり訪ねてしまったのですが温かいお言葉をいただき、ありがとうございました。
名古屋口に戻る途中には現代の道標。
今振り返ると大垣ってなんだか石物が多いイメージ。
言われてる通り水の町だなー。
大垣城東総門跡(名古屋口)に着きました。
前回はここまで来てたのです、ここから美濃路歩き再開です。
美濃路は赤いライン、城下町の街道らしくちょこちょこ曲がってややこしいコース取りです・・・。
昭和テイストの街並みを行きます。
角にある渋いお店の田中屋煎餅総本舗さんの前を通り。
しばらく行くと立派な道標が現れます。
本町道標、これは再建レプリカだそうです。
でもやはりうれしいんですけどね。
角ごとにルートミスしないように確認しながら進みます。
問屋場跡は街道感盛り上げまくりで笑。
ありがとう~。
本陣跡の建物は・・・なんでか開いてなかった。
お休みだったのか?
かなりの頻度で美濃路って案内があるので助かります。
こういう水路も昔は大垣城の堀の一部だったんでしょう。
中心部から外れてきてだんだんと歴史のありそうなお宅が増えてきました。
ひときわ重厚な屋根を乗せてるこちらは和菓子屋さんのつちやさん。
迫力のレトロ看板にある柿ようかんをお土産に購入。
街道はこう、微妙に曲がる、これは昔は枡形だったのかな。
飯沼慾斎さんて?幕末の医者であり植物学者だった先生だそうです。
神社が見えたので参拝してみると・・・。
秋葉さん、お参りします。
・・・ん、裏に道があります・・・。
おー、いきなり船溜まりのような場所が目の前にあってびっくり。
滝まである!
さらに南に進みます。
この橋のたもとに・・・石物が。
まずはでっかい丸い道標が目立つ目立つ。
左 江戸道。
右 京みち。
船町道標。
破損修理の跡があるのは戦災のためか・・・。
橋詰の反対側の一角には・・・道標、いや、橋の親柱のようです。
歩き前に街道の史跡の下調べしてると、道標の保存情報はわりといろんな記事やマップで見つかるのですが、
こういった橋の親柱が保存されてるのは情報は少なく、現地でいくなり見つけることが多くてあるとうれしいのです。
うっ、達筆だ、えーと。
か・・・ひ・・・〇・・・ら・・・
こういう時は経験上まず間違いなく近くにいる2代目3代目に聞くのが一番です。
正解は「貝殻橋」でしたかー!
崩し字古文書入門て本買ってたまに眺めてるけど、難しいなー。
もひとつ先の橋の場所は、
船町港跡&どーんと住吉灯台。
これは有名な場所です、映像でも見たことある場所。
大垣の物資流通の中心だった川湊です。
さらにもひとつ先の橋詰に大垣共立銀行、なかなかやってくれます。
水門川を挟んで、奥の細道結びの地。
「俳句や和歌はわかんないからなー」・・・。
奥の細道むすびの地記念館という施設があるのは知ってますが、
まあいいかと外の芭蕉さんと曾良さんに挨拶して通り過ぎようとしたら、ん、なんか立派な道標があります。
「谷木因俳句道標」というらしい。
スゴイねこの人、芭蕉さんがくるのに合わせてサプライズでこんなん用意しちゃったんか笑。
しこもこれレプリカで、本物は、記念館の中に展示されてると・・・それじゃあ見に行かなきゃ。
空模様もやや怪しくなってきて急いでたので写真もピンボケでごめんなさい。
中は写真写せなかったのですが、ホンモノの道標を見学しました。
そして、いや、むしろ一般展示の内容が見てみたらよかったのです。
「奥の細道」って俳句集ではなくて紀行文がメインなのですね。
旅も紀行文も歴史も大好きなので、現代語でかみ砕いてわかりやすく解説されていた展示は、
江戸時代の旅の雰囲気が伝わってとても面白い内容でした。
時間が無くて流し読みしただけで速足で通り過ぎてしまいもったいなかった!
またゆっくり見に来よう。
記念館から外に出ると空模様がマジで怪しくなってきました。
川湊に近いからか、歴史のありそうな建物が。
酒蔵があるのは知ってますがまだ先は長いので4合瓶の荷物を増やすのはちょっと断念しました。
こたこたと曲がる道が続いた城下町を出て街道は真っすぐに西に向かいます。
いよいよ垂井に向かって歩き出したとこですが、続きます。