2度目の美濃路を歩ききりましたが、やや消化不良なので番外編最終回スペシャル(どこぞのドラマみたい)です。
目的は、垂井宿歩き、南宮大社参拝、そして、美濃路上にあった長松地区の道標に示されていた南宮大社への近道を歩いてみること。
名門街道ではないので歩くコースはハッキリしませんが、今昔マップの明治の地図と、国土地理院の古い航空写真から推定です。
美濃路歩きの途中での南宮大社近道道標のあった追分までは、
交通機関で近いのはJR東海道線の大垣駅から分かれる、通称美濃赤坂線の途中駅荒尾駅から2キロの距離。
ですが今回は総歩行距離は短いし、なんか面白そうなので珍しい二駅区間で終着駅の美濃赤坂駅に行ってみることにしました。
まずは大垣駅で電車乗り場探し。
三番線てないじゃん、どこかとキョロキョロすると、長いホームに切れ込んだいちばん端っこのミニ乗り場でした。
これは・・・ローカル線だ~。
この大垣から美濃赤坂までの区間、たった二駅で終点です。
この区間はなんでかIC乗車券が使えないとのことで車掌さんに精算頼んだら終わる前にもう終点に着いちゃいました笑。
なんという空が広いのどかな駅。
貨物駅のいちばん端っこに間借りしているような乗り場です。
さあ南に歩き出そうとしたら。
中山道赤坂宿まで北にたったの400メートルか・・・。
・・・いや今日は我慢です。
こんもりした丘に見える緑がお勝山、家康さんが関ケ原の合戦前夜にまず本陣にしていた場所です。
山自体は、あまり観光客は歓迎していないようでした。
もう使っていないような線路を越えると
立派な三尊像が迎えてくれますが前掛けでよく見えない・・・。
石灰石を満載してるらしい長い貨物列車が遠くででスタンバイ中。
この線路は金生山の石灰輸送専用線みたいなもので人間はどうやらおまけみたいです。
勝山の安楽寺、聖徳太子の時代からあるらしいです。
家康さんも関ヶ原のとき本陣にしたここで戦勝祈願しただろなぁ。
三つ葉葵の紋がてんこもり。
参拝後境内を見てたら、鬼瓦の隣に、ん?なんか石柱がある。
あー、江戸時代の領地の境の印、領界石じゃんか~!
「従是東大垣領」です。
幸先よく面白いもの見つけテンション上がります。
ここからは今昔マップで古くからある道を選んで歩きます。
途中の辻堂。
明るさと前掛けや帽子でよくみえませんが二人の姿が彫られている像のようです。
もしかしたら東海地方ではめったに見ることのない(だとしたら初めて見た)双体道祖神さんなんかも。
いい道を選んだようで、お堂がちょいちょい現れます。
恐ろしいほど超リアルなタッチの表情の馬頭観音さま!
特に左右のお顔のリアルさといったら!
ドローンのようなぶら下げ信号機を越えてふと右の民家の庭先を見ると・・・。
あ。
これはなんとも立派な常夜灯道標があるではないですか。
ちょうど家の方が庭に出ていらしたので近くでじっくりと見せていただきました。
ありがとうございました。
右谷汲山江六里神戸江二里。
左御首社二十六丁大垣一里。
御首社とはこの後立ち寄る予定の御首神社のことです。
明治ものでした、これ貴重で立派なものだな~。
こんな立派な道標があるということはこの道は街道に準じた人通りの多い道だったのでしょう。
思わぬ発見が多いと歩くのが楽しいね~。
このあたり、今日一日、こういった感じの野の石仏さんを多くお見かけました。
なんだか庶民感があって素朴さがいいのです。
ただ、大きさも小さいので前掛けでほとんど隠れてしまい、摩耗もあるし彫り込みもシンプルなので
いかなる仏さまか見分けられないけど笑。
一駅歩いて荒尾駅の前に御首神社があります。
ホントは今日はこの駅をスタートにする予定だったのですが、美濃赤坂駅からにして成功でした。
御首神社、なんとも恐ろし気な名前です。
それもそのはず、平将門さんが乱を鎮められ打ち取られたその首が関東に飛んで戻ろうとしたところを矢で射落としたのがここ。
将門さんの御霊を鎮めるために創建された神社ということです、歴史あるなー。
そして御首にあやかりか、首より上のいろんなことに御利益があるそうですよ。
この手水の使い方の解説イラストいろんなところで見かけるけど、神社本庁公式解説板かなんかかな。
近くの諏訪神社前のお堂の馬頭さまは・・・。
マンガキャラ的なかっこよさでした。
ごちゃついた踏切でJRを越えて南に。
電車を撮るのは難しいな。
どちらの仏さまかわかりませんがそれでも必ず手を合わせて歩きます。
長松地区はここを右ですが、この真っすぐ先に美濃路歩きで遠くてスルーした谷汲道標があるのでちょっと見に行きます。
これかー、シンプルな自然石のものです。
読みにくいけど左谷汲かな。
やっぱりこの道は美濃路と中山道をつなぐ抜け道的なルートだったと思われます。
先ほどの分岐に戻って矢印の方向に曲がり、いよいよ長松地区に入ります。
竹橋を渡ります。
渡るともう、その道は美濃路。
つい先日通り過ぎたばかり。
赤レンガの塀の前を通り過ぎて、簗瀬鉄工さんの前の近道道標の三叉路に着きました。
やはりこの面は読めなくて、いつのものかわかりませんが、まあいいや。
二本の道標が指し示す南宮大社近道をいよいよ出発です。
足元をよく見るとちっさい橋がありますが、かわいいながらも親柱が付いてますね。
二ノ丸橋って名前でもともとは昭和二年の橋だそうです。
やはりこんな古い橋があるというのは重要ルートだったはず。
そしてその名前はお城からの由来っぽいです。
なぜならこの先に長松城跡があるからです。
そういわれるとこの水路なんかもなんとなく堀の跡に見えてくるから不思議。
常夜灯のすぐ先の学校の入り口のすぐ横に長松城跡の碑がありました。
関ケ原の戦いのすぐ後に廃城になってるとのこと。
それでも二ノ丸という名が残るんだなぁ。
ところどころ道が消えてる区間もありますが、それでも信心深い日本人はこういったものをそう簡単には壊さないのです。
これまた今日見た中ではいちばんPOPなお顔の馬頭さまです、なんだか恐ろしさは感じなくて、かわいらしさ全開です。
子供たちにも人気が出そう。
気持ちいい季節で、風で田んぼの稲がそよいで爽快、歩き旅感満点。
相川を渡る橋が見えてきました、橋を越えると、この日歩く区間で一番大きい表佐(オサ)という町に入ります。
足取り軽く続きます。