【安定門(西城門)】
「安定門」は、「隋唐長安皇城」西側の
中門「順義門」で唐代末期に
韓建が新城を建設した時に
保留されたようです
明代洪武7年から11年まで
(1374年から1378年まで)
「西安府城」拡張期に、
この門は「西門」として使われたが
臨場感を味わってください♪
「隋唐時代梁式三門洞」を煉瓦積み上げ式の
単一門洞に改築され位置もやや南に移動され
「甕城」が建てられ、それぞれ「内城」、
「甕城」には「正楼」、
「箭楼(矢楼)」という二重が建てられた
約14キロある城壁は
東西南北に4つの門があります
最も大きな門が北門!
安遠門と呼ばれてますね〜
明代崇禎九年(1636年)
陝西巡撫孫伝庭は「瓮城」の外に「月城」を建て
「月城」に「門楼」を建て
堀を渡る固定橋を「つり橋」に変えました
民国初年、堀に橋を架けたため、
「水門楼」と「つり橋」、「月城」は、取り壊された
ここはレンタル自転車、カートで巡回できますよ
城壁の造りは当時、完璧だったようです
当時を思わせるように力強く旗が靡いてますね~
唐の長安城は隋の大興城の上に 作り直したもので 碁盤の目のように仕切られています |
宮城や皇城また外郭城に分けられています
朱雀通りを中軸線として、
縦は11本、横は14本の
大通りから、成り立っています
108の坊に区画されていて、
これは後の町作りには
大きな影響をもたらしたようです
総面積は84.1平方メートルですが、
漢の長安城の2.4倍で、明の9.3倍でそうです
では、つづく(@^^)/~~~
2020.6.28 風来坊