老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1405;いま、生きていたひとが、 亡くなり、「いま」、居ない

2020-02-17 04:47:29 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
いま、生きていたひとが、 亡くなり、「いま」、居ない

昨日の朝 散歩しているとき
浩子婆様の長男が運転する軽ワゴンが止まった。
「昨日 婆さんが亡くなった」
「最期は見送りができたんですか」、と尋ねると
「前の日から泊りこみで付き添っていたので見送りはできた」
「それはよかった。本当に長い間お疲れ様でした」

介護用ベッドと歩行器の利用だけで
在宅介護を8年間してきた長男
老いた母と長男の二人暮らし
兼業農家をしながらの介護

今年の一月末、尿管結石からくる尿路感染症で入院
齢、97歳になる
日中はベッドで生活するも
ポータブルトイレで排せつを行い
歩行器を使い、寝室から居間で歩き
炬燵で長男が用意してくれた食事を摂っていた彼女

またひとり90歳を超えた老いびとが亡くなった
「な(亡)くなる」は「居なくなる」ことであり、寂しく切ない
血のつながった家族ならば、それ以上に寂しさや哀しさは深い

いま、生きていたひとが、
亡くなり、「いま」、居ない

「今」「居間」「在る(存在)」という3つの言葉から、思うことがある
「今」は、いま自分は生きている
それは自分がこうして、家族とともに「存在」していること
家には「居間」があり、家族がみんなが「今」、「居間」に顔を揃え
食事や語らいのひとときを過ごす。
家族と「居る」「時間」をともにする場所が「居間」なのだ。

居間から、浩子婆様が居なくなる
昨日居たひとが
今日は居ない
そう思うと切なく悲しく寂しさが襲ってくる

昨日彼女の顔を拝ませていただいた
安らかな顔をしていた。


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