老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

いつまでもあると思うな親と金と時間

2020-06-04 04:43:33 | 阿呆者
1549;いつまでもあると思うな親と金と時間

「いつまでもあると思うな親と金」の諺なのですが
それに「時間」を加え
「いつまでもあると思うな親と金と時間」

自分の親は、あの世に逝かれ、いまはもういない。
だからいまは、「いつまでもあると思うな金と時間」かな

身に余るほどのお金は「無く」
日々暮らしてゆくだけのお金が入ったり出たりである。
夜の街で浪費するお金はなく
いまは感謝しながら大切に使う。

我が財布、月末になると福沢諭吉(壱万円紙幣)は居なくなり硬貨だけが溜まる。
その貴重な硬貨、ときには金貨に思えてくることもある・・・。

無き親によく言われた。
「壱円でも足りなければ切符が買えず汽車に乗ることができない」、と。
壱円を馬鹿にしちゃいけない。

時間は無限にあるけれども
人間の命は限りあり、死は突然訪れることもあり
いつまでも時間はあるとは思わないほうがいい。

砂時計の如く、砂は無情にも落ちゆき、残された砂は少なくなり
最後の砂が落ちたときが臨終となる。

最後は「時は金なり」の諺に落ち着いた。



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