「見ている(世話している、介護している)」つもりが、「見られている」ことに・・・・
「つぶやき」から「老人のつぶやき」に変更した
自分のつぶやきだけでなく、在宅老人のつぶやきまで枠を拡げてみた
今日から在宅訪問開始
「夫婦は、血の繋がりはなく、元々は他人の関係」
「夫婦を繋ぐものは、絆?」
「親子は、血の繋がりはある」
「介護員は老人を見ているつもりでいるが、老人から見られていることに気づいていない」
老人は介護員それぞれの性格や癖を、経営者よりも把握している。
老人は嫌いなタイプの介護員であっても、「あんたいい人だね」と持ち上げる
老人は苦労して生きてきただけに、人生の裏表を知り尽くしている
肝心なことは沈黙。
認知症老人も介護員それぞれについて、自分にとり誰が敵(非理解者)であり、味方(理解者)であるかを知っている。
「つぶやき」から「老人のつぶやき」に変更した
自分のつぶやきだけでなく、在宅老人のつぶやきまで枠を拡げてみた
今日から在宅訪問開始
「夫婦は、血の繋がりはなく、元々は他人の関係」
「夫婦を繋ぐものは、絆?」
「親子は、血の繋がりはある」
「介護員は老人を見ているつもりでいるが、老人から見られていることに気づいていない」
老人は介護員それぞれの性格や癖を、経営者よりも把握している。
老人は嫌いなタイプの介護員であっても、「あんたいい人だね」と持ち上げる
老人は苦労して生きてきただけに、人生の裏表を知り尽くしている
肝心なことは沈黙。
認知症老人も介護員それぞれについて、自分にとり誰が敵(非理解者)であり、味方(理解者)であるかを知っている。
母美代さんも、デイケアではお気に入りのスタッフさんと、そうではないスタッフさんがいます。
始めの頃はお気に入りだったスタッフさんですが、一度嫌なことを言われたらしく、それ以来事あるごとにそのスタッフさんの事を悪く言います。
でも、迎えに来てくれた際はニコニコ顔で出かける、外面良子さんでもあります。
そうなんですよ。
老人に限らず 内面、外面の使い分けは
人間が持つ「人づきあい」の方便なのかもしれない。
ときどき思うことがあります
幼稚園や保育園ならば
仲良しの友達を見つけ
何人友だちできたかな、と
ワクワク感がある。
老人のデイサービス(デイケアも含む)
老人ひとりひとり
生活歴や職業歴、家族、価値観なども含め
違う
80年90年も生きてきて
今日からデイサービス
みなさん仲良くしましょう、と
素直に話のなかに入れるものではない
特に男性老人は溶け込み難い
でも女性に気遣いをしたり、やさしい男性は
婆さんたちが寄ってくる