この物語はフィクションです。
あすか「お母さんの出た高校って、埼玉の浦和一女高なんだよね?どんなところだったの?」
ノンコ「居心地はよかったわよ。喧嘩もいじめもないし、授業中騒いだりよそ見する生徒もいない。勉強するにはいい環境だったわ。麗風館という離れに図書館があって、お母さんそこでたくさん本を読んだり勉強していたりしたわ。先生達は一女高で定年退職を迎えるようなお年寄りが多かったわ」
あすか「中学3年間は、受験勉強してたの?」
ノンコ「お母さんの場合はそうね。数学が大好きだったから、高校でも大学でも好きなだけ数学やりたかったの。だから勉強はたくさんしたわよ。でも行事もそこそこ楽しんだわ。お母さんあすかちゃんみたいに手広く何でもやるタイプじゃなかったから、ほぼ勉強漬けの毎日だったと覚えているわね。埼玉は国公立志向だから、高校は公立ってムード一色だった。ちょっと余裕のある家は高校から大学まで続いてるところに行っていたけど、中学受験する生徒はお母さんの頃は少数派ね。お母さん中学校で学年トップだったから、もう一女行く以外は考えられなかったわ。先生からも期待されていたし」
あすか「お母さんって真面目だったんだねえ」
ノンコ「真面目だったし、みんなよくしてくれたわ。だからお母さんが一女合格できたのは、先生や周りの人のおかげなのよ。みんなから大事にされたわ」
あすか「いい話だね」
ノンコ「高校でもお母さん、勉強がんばったのよ。ただね、埼玉の各学校からトップの子ばかり集まってくるところだったから、上位にいるためにはやっぱり猛勉強が必要だった。そのせいかしらね、腹を割って話せるお友達というのはいなかったわね。みんなお互い適度に距離を置いて、単独で生活しているようなところがあった」
あすか「え、そうなんだ」
あすか「つらいことがあっても誰にも相談できなかったの?」
ノンコ「できなくて、ひとりで我慢してたわね。イタズラする子も意地悪する子もいなかったけど、淋しかったわ。早く大学行きたかった。北大に受かってやっと安心できたの。一女の卒業式ではみんなでベートーヴェンの第九歌ってさよならしたの。春休みにとっとと札幌へ行って、4年間楽しく勉強して教免取って中学高校の教師になったわ。でもお母さん、体力なくて。運動部の顧問とか本当にイヤだった。結婚して辞めようと思って、お父さんと一緒になったのよ」
あすか「ありゃりゃ、その結果がこうか……」
ノンコ(左)「お父さんは共稼ぎを望んでいたからね。でも教員と家事の両立がどうしても出来なくて。東京でもう一度採用試験受けて中学教師になったけど、栄中にいた頃は病気ばかりしてたでしょ?みんなを心配させてしまったわね」
あすか(右)「確かに。緑中に異動してからは運動部あんまりないからか、お母さんイキイキしてるもんね。私とは違うタイプだ」
ノンコ「あすかちゃんは今からもう高校生の問題解けるから、お茶高には合格すると思うわ。ただ、女子校はあすかちゃん向けじゃないかもしれないわね。フルール女学院にいた頃はめちゃくちゃだったけど、今の学校ではずいぶん落ち着いてるもの。まだ時間はあるんだから、ゆっくり選ぶといいわ」
ノンコ「さ、クリスマスツリー出しましょ。行事は大切にね」
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今回はあすかっちのお母さんであるノンコさんの昔語りです。
ノンコさんの高校時代は私の体験がモデルとなってますが、私は自分の母と違って数学キライでしたし、大学も美大ですし全然違います。母と私を足して2で割ったような感じがノンコさんですかね、あすかっち自身は大学時代の私が一部モデルとなっております。
あすかっちは会社に勤めたり先生になったりするつもりはさらさらなく、勉強も受験も作家として生きていくための手段に過ぎません。
学校はそもそも受験の予備校ではなく生徒を人間らしく育てるところだと思います。いつの間にか手段が目的化し、子供の尻をたたいて猛勉強させる、競争させる、そういったことが果たして必要なのか、毎年のように疑問に思います。
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