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※以下、映画「ボーイズ・ドント・クライ」のネタバレがあります。

 

 

久しぶりに真面目なお話をいたしましょう。

皆様、映画はお好きでしょうか? 僕は映画が大好きです。

 

 

そんな中で僕が今回紹介するのは「ボーイズ・ドント・クライ」という作品です。主演のヒラリー・スワンクがアカデミー主演女優賞を獲得するなど非常に有名な作品ではありますが、改めてこの場を借りて紹介したいと思います。

 

 

「ボーイズ・ドント・クライ」は実話を元にした物語。ヒラリー・スワンクが演じた「ブランドン・ティーナ」という人物は、いわゆるFtMのトランスジェンダーの男性。彼は1993年の12月31日、ヘイトクライムによって2人の男の手にかかりレイプされた上、惨殺されてしまいます。その実話を元にした作品であるからこそ、この映画のラストはもう悲壮の極み。Amazonレビューにも「ノンフィクションだと知らなかったら、ラストシーンは見れなかった」と書かれているほどです。しかしながら、そのラストを僕たちは乗り越えなくてはならないと僕は思うのです。

 

さて作品の世界観(実際にブランドンが惨殺された年)は1993年前後。あれから25年経って、世界は大きく変わりました。同じくAmazonレビューの感想でもあったのですが「ここまで差別する理由が分からない」、と。僕もそれは分かりません。なにせブランドンが惨殺されたのは僕が生まれるずっと前。僕自身がゲイだと自覚したのは小5の時くらいなので、僕自身が当事者意識を持つようになるまではもっとさらに多くの時間が流れている。さらに、この時期くらいになるとはるな愛さんだとか椿姫彩菜さんだとかのMtFタレントがTVで既に活躍なさっていたので、大分当時の状況とは異なる訳ですし、「差別される理由」もよく分からなくなってしまったという訳です。

 

でも、25年前はまるでその「時代の空気感」が違います。まず、レズビアンやゲイといった存在がそもそも「未知」の存在として捉えられていた時代です。この時代の前後だと、今、映画で話題になっているフレディ・マーキュリーや、俳優のロック・ハドソン。ポップアーティストのキース・へリングや写真家のロバート・メイプルソープなどの著名人がAIDSに倒れてしまうなど、その「未知」の病に対する恐怖と「未知の病が同性愛者の間で流行している」といった表面的な情報だけが一人歩きした結果、余計に偏見を抱かれてしまったのでしょう。そんな中で、MtFやFtMの存在は果たして社会的に知られていたのだろうか―、答えは明らかですね。

 

さて、こうした「未知への恐怖」が増大してしまった結果、ブランドンは惨殺されました。こういった犯罪がいわゆる「ヘイトクライム」です。これだけLGBTのタレントさんがメディアに出演している今、社会的には「こういう人もいるんだ」と認識されつつあるのが現状だと思います。そのお陰かどうかは分かりませんが、LGBTQに対する目に見えた「ヘイトクライム」はあまり聞かれなくなりました。しかしながら、それは「メディアに取り上げるほどの社会問題化するような犯罪が目に見えなくなった」という事でしかなく、ある1つの狭い集団内の中では引き続き「未知」のものとして捉えられ、そして今もなお彼らへの偏見は続いているのです。

 

以前、2回に分けてTwitterには病み垢が多いという話を僕はブログに書いたかと思います。僕のやっているTwitterの性質上(BLの事を主に扱っています)、僕が見てきたいわゆる「病み垢」のほとんどが中高生のゲイであったり、バイであったり、FtMであったりとそういうマイノリティーに属する人々でした。共通するのは、「周囲には言えない」環境であったり、「人とは違う自分を嫌悪している(=自己肯定感が低い)」というものです。それがどんどんと日常生活を送っていくごとに積み重なると、「病む」ことにつながるのでしょう。世間は残酷です。

 

最後に「ボーイズ・ドント・クライ」の話に戻りましょう。ブランドンの惨殺というラストはまさに「世間の残酷さ」が一番先鋭化していた時代の象徴というべきシーンです。あれから25年の月日を経た今、確かにこういったヘイトクライムは減りました。しかしながら、小さい集団の中では「無知」と「偏見」が増大してしまう傾向がどうしても強くなります。そしてその「小さい集団」が「世間」になり、その「世間」の持つ残酷さが自分に押し寄せてくる―、こうした現象がいわゆる「いじめ」だったりするのかなと僕は思うのです。その状況下―、現実世界ではもう何も対処できない―、に置かれてしまった中高生の最後の砦として「病み垢」は存在しているのでしょう。

 

幸せ自慢と捉えられるかもしれませんが、僕自身は自分がゲイであることに悩んだことはほとんどないし、一貫校だった中高時代も素晴らしい仲間に出会えて「ありのままの自分」でいることができ、大学でも素晴らしい仲間に出会えた結果「病んだ経験が今まで1回もない」。故に、自分の経験則で彼らの気持ちを理解する事なんて絶対に無理なのです。でも、彼らは幸運な僕と違って周囲に恵まれていないからこそ病んでしまうのです。

 

一番残酷なことは、ブランドンは「FtMであることがバレた結果」惨殺された事。ブランドンが恐れていたのは、まさにそこだった。それは25年の時を経た今の中高生が「最も知られたくない部分」と共通します。25年前のブランドンの惨劇は今もなお、僕らに多くの事を問いかけてくれます。社会問題化するような惨劇であったとしても、狭いコミュニティの中での露見しにくいいじめであってもその本質は変わりません。そんな「世間」の持つ残酷さを世に問いながらも、僕ら自身が「世間の一員」として無意識に振りかざしてしまう「残酷さ」を見る人に問うているのがこの「ボーイズ・ドント・クライ」なのではないか―、そう思う今日この頃です。