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令和元年11月2日・岡山県倉敷の旅 2復路

2019年11月11日 | 伊予松山歴史散策

午後3時35分倉敷市、次男宅を出発帰路に着く。

画像は、倉敷の旅・復路の画像です。

なお倉敷美観地区の画像は昨年観光した画像を掲載してますのでご承知おき下さい。

倉敷は:

江戸時代、天領の地であったので領民は優遇されていたのではないでしょうか??

今回倉敷で感じたことは県道・市道の幅員が広く、歩道も広く整備してあった。歩道で車椅子競技者が練習をしていた風景を見た。長い一直線の歩道で、片側一車線センターラインがあり松山にはなく、まるで車道の規模であった。

倉敷市は、西日本最大級の水島臨海工業地帯を有しており裕福な自治体、人口47万人を有する街で、その証拠に倉敷市庁舎は、欧州のお城の様な、またホテルの様な立派な庁舎である。

建設当時は、ホテルと間違へられ、今夜はこのホテルに宿泊したいと言った観光客がいたそうです。

倉敷にはもう一つ観光資源があり、倉敷美観地区で、「伝統的建造物群保存地区」・「伝統美観保存地区」・「倉敷川畔伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定され整備されている。

 

倉敷市庁舎。

建設当時は観光客にホテルと間違えられた立派な欧州調の庁舎、新築した当時、市長室の絨毯の豪華さに市民から批判があり敷き替えたそうです。

倉敷美観地区の代名詞である夜の倉敷川畔伝統的建造物群保存地区。

昨年10月7日撮影の画像です。

倉敷川の観光川船「天領丸」で川下り、川面から伝統的建造物群保存地区を遊覧する観光客。

昨年10月7日の画像です。

倉敷川から一つ通りを過ぎると伝統的建造物群保存地区の建物があり江戸情緒にタイムスリップする。

昨年10月7日の画像です。

白人系外国人が珍しそうに倉敷川畔伝統的建造物群保存地区を鑑賞していました。

昨年10月7日の画像です。

次男の居宅から直ぐに立派な広い歩道が整備された道路に出ました。

広い歩道で車椅子競技者が練習をしていました。

車道も広いが歩道も広々と整備されていて、長い一直線だからいい練習コースです。

そして瀬戸中央自動車道水島ICから高速道に乗り暫く走ると鷲羽山トンネルが見えて来ました。

瀬戸中央自動車道で、備讃瀬戸を岡山県側から10本の橋を渡り香川県坂出市を通り高松自動車道下り線に出ます。そして松山市に続いています。

瀬戸中央自動車道、北備讃瀬戸大橋補修のための大きな橋桁が取り付けてありました。

北備讃瀬戸大橋から見た備讃瀬戸香川県側の風景です。

瀬戸中央自動車道最大の大橋「南備讃瀬戸大橋」です。

南備讃瀬戸大橋の北側主塔、194mから香川県坂出市方向です。

画像は、平成25年5月26撮影しました。

昭和63年4月3日(日)瀬戸大橋開業記念「瀬戸大橋ウオーク」が開催され応募するも外れ、友人の通行手形で、坂出北ICから児島ICまで徒歩で通行しました。所用時間は5時間かかりました。

復路の当初の予定は、児島ICからバスでJR倉敷駅に移動し、JR岡山駅から宇野みなと線で宇野港に移動、宇高連絡船で高松経由して予讃線で松山に帰る計画でしたが、瀬戸大橋ウオーク出発時にお楽しみ抽選会があり帰りは、営業前の「瀬戸大橋線・特別電車」の乗車券が当たり宇多津駅まで瀬戸大橋線で帰り予讃線で松山に帰りました。
その時まさか主塔体験など考えもしなかったです。

それから25年の年月が流れ平成25年5月26日、25年前に歩いた瀬戸中央道を主塔の上から見ることが出来ました。

JR四国と本四道路公団が企画している主塔体験ツアーは毎年春と秋に開催されているそうだが応募倍率は7倍だそうです。

主塔付近が風速10mを超えると危険防止の為、主塔には上がれず中止するそうです。

平成25年5月26日は、風速8m無事体験出来ました。

それから6年後の令和元年11月2日、久しぶりに車で通行、それも後部座席からカメラ持参で写真を撮りながらの旅でした。

もう今後こんな旅をする事はないと思います。

坂出市にある川崎重工業のドックです。

坂出JCT手前に出て来る各四国管内の高速道案内板です。

四国に上陸、瀬戸中央自動車道の階下はJR瀬戸大橋線が走行しており、四国新幹線が走行できるよう整備企画されています。

四国四県の各知事、各経済界から四国新幹線整備の要望が出ていますが何時整備されるのか?本州・北海道・九州から見ると鉄道整備は大きく立ち遅れています。

瀬戸中央自動車道坂出料金所を通過します。

高松自動車道下り車線に入ります。

高松自動車道下り「さぬき豊中」2km手前に、アマチュア無線局のANTがありました。

クリエートの自立タワーで7・21MHz帯のANTとGP(144MNz・430MHz帯か?)のANTが上がっていました。

倉敷の旅往路の時も小休止した豊浜SAで、画像は高松自動車道下り線豊浜SAです。

時間は、午後4時47分で倉敷の次男宅を出てから1時間11分経過後です。

高松自動車道下り車線豊浜SAにあるガソリンスタンドの価格です。

高速のガソリンスタンド価格は高く、松山の私が何時も給油しているGSはレギュラーガソリン@136円です。

高松自動車道下り車線豊浜SAを出ると「ようこそ・愛媛」の看板が目に付く此処から、愛媛県となり松山自動車道下り車線となります。

愛媛県の鳥「コマドリ」樹は「マツ」花は「ミカンの花」でその案内板でお出迎えです。

松山自動車道下り車線川之江JCT9km手前に、松山・高知・徳島各自動車道の案内板が出て来ます。

そして直ぐ川之江JCTとなり、高知・徳島の大きい案内板が出て来きます。
高知自動車道・徳島自動車の分岐点で、うっかりすると直進してしまいます。

川之江JCTを過ぎると一気に日が暮れて来ました。

瀬戸内海の燧灘に沈む大きな真っ赤な夕日が一瞬見えたがシャッターを押せなかったです。

雲は、銅色(アカガネイロ)となった。雲の下は別子銅山のある新居浜です。

松山自動車道下り車線のトンネルでシャッターを押してみました。

この後、石鎚SAで夕食をとりました。

松山自動車道ICを降り国道33号線に出ました。   

午後6時38分我が家に無事現着しました。

往路は、2時間24分で

復路は、3時間03分の車の旅でした。

 

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