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伊豫松山城・日本夜景遺産に認定された

2020年09月20日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

一般社団法人夜景観光コンベンション・ビューロー内、日本夜景遺産事務局が主催する、第16回『日本夜景遺産』新規認定地の募集に応募していた「伊予松山城」が、認定を受けた。
認定日は、令和2年7月22日付である。

認定理由

全国で一番整っている「連立式天守」の建築様式の景観的な特徴や、環状に連結した天守や櫓の白壁に光が映え、城を真下から見上げる近景や市街地からの遠景など、どこから眺めても城郭のインパクトを発揮している点、さまざまなライトアップイベントの実績が評価されました。
また、市街地を一望できる夜景の名所で高い人気があります。

伊予松山城は、現存12天守の一つで、江戸時代最後に再建された天守である。本丸にある国指定の重要文化財指定の建造物は21棟あり姫路城に次ぐ城郭である。

また日本三代連立式天守(姫路城、和歌山城、伊予松山城)の一つで、また、日本三代平山城(姫路城、津山城、伊予松山城)の一つでもある。

参考に

伊予松山城は、現存12天守の一つで、江戸時代最後(安政元年2月8日再建)、伊予松山城と表記するのは、各地の松山城と区別するために伊予を付記する。

特に岡山県高梁市にある備中松山城と区別するためである。

普段松山城と表記すると、伊予松山城を指す。

全国で一番整っている「連立式天守」

これ以降は、松山城と表記します。

松山城天守は、日本三代連立式天守の一つであり、日本三代平山城の一つである。

松山城は標高132mの勝山に本丸があり天守があるが何故山城でないのかと尋ねられるが松山城は三之丸が平地にあるので平山城である。

標高132m勝山山頂にある松山城本丸、その本壇に三層の天守があり、天守最上階は高さ約160mになる。

松山城城郭全体の画像で、三之丸の施設は殆ど移転しその跡地は、埋蔵文化財発掘調査が行われ、現在三之丸は、「城山公園」となっている。

三之丸に残した施設は、NHK松山放送局舎・市民会館・愛媛県立図書館・愛媛県立美術館のみでスポーツ施設は全て城外に移設した。

参考までに

三之丸、NHK松山放送局舎付近が標高19,6mで、二之丸御殿跡が標高39,9m、本丸広場が132mである。

さて、これからが

日本夜景遺産に、新規認定された「松山城天守」ライトアップの画像です。

松山城天守のライトアップ開始は、昭和24年4月16日からで投光器は水銀灯であった。

水銀灯は消費電力が高く、電力経費節減のため平成22年12月16日~平成23年3月22日

にかけてフルカラーのLED照明に切り替え現在に至っている。

光源がLED化されたライトアップは、白色光で天守を美しく照らし上げ、その雄大な姿を闇に浮かび上がらせ文字通り夜の松山のシンボルとなっている。
ライトアップの色は「白色」,「橙色」,「電球色」,「青色」,「桃色」,「緑色」,「水色」,「青紫色」
などのカラーで照明することが出来る。

橙色でライトアップされた天守で、松山に本拠地を置くサッカー・J2リーグ「愛媛FC」が松山市で試合を行う時は、愛媛のカラー「オレンジ」にちなみ橙色でライトアップされる。

時より夜間天守鑑賞特別行事では、天守が開放され高さ160mからの天守最上階から見る城下町松山(人口、51万人)の夜景は素晴らしい。

松山城は普段は白色にライトアップされていますが、特別なイベントなどのある日や期間によってその色が変わるんです!
イベントや日ごとに青や赤、緑に紫などの色でライトアップされる松山城はいつ訪れても飽きのこない光景です。

日本夜景遺産

日本各地に埋もれている美夜景の再発見や発掘、価値を付与して紹介することで、観光資源として夜景をアピールします。「日本夜景遺産」の「遺産」は、優れた夜景とそれを鑑賞できる場所「夜景観賞地」の関係を後世まで残していく意味を込め、名が付けられています。

 日本夜景遺産は、民間の組織である日本夜景遺産事務局が選定する日本の夜景地のことである。

平成16年7月に第1回として101か所を選定。以降も随時選定が行われ、平成30年8月時点で認定追加・解除を含めた夜景遺産地の合計数は全国236か所となっている。

日本夜景遺産認定記念 ⇒10月3日(土)・4日(日)天守とロープウェイが夜間営業開催される。

※ 天守夜間営業は、午後8時30分まで(札止め午後8時)

※ ロープウェイ夜間営業時間は、午後9時まで

※ 日本夜景遺産認定記念の10月3日・4日はどんなカラーでライトアップされるのでしょうか?

松山城のライトアップは現在、
「白色」,「橙色」,「電球色」,「青色」,「桃色」,「緑色」,「水色」,「青紫色」
などの様々なカラーパターンが用意されている。

もしも、新型コロナが大蔓延したら、松山城天守は真っ赤な照明で映し出されるかもしれません。?

松山城本丸大手門跡、隘路からライトアップの様子で、普段は、ライトアップはされなく、特別行事として「光のおもてなし」の時に特別にライトアップされる。

「光のおもてなし」の時に特別にライトアップされた様子です。

松山城「隘路」に仕掛けられた照明・・奥に天守、手前の石垣は、戸無門に接続する石垣です。

平成27年7月に初開催された城内イベント「光のおもてなしin松山城」以来、様々なライトアップイベントを開催する松山市内の勝山にそびえ立つ街のシンボル。
毎日日没から23時までフルカラーLED照明によってライトアップされている。

天守点灯時間は、⇒ 日没から23時までです。

「光のおもてなし」の時に特別にライトアップされる。

松山城、揚木戸門跡に仕掛けられた照明で石垣上部の櫓は「隠門続櫓」です。

「光のおもてなし」の時に特別に本丸広場に仕掛けられる光の装置。

道後温泉裏手の高台にある「瀬戸風峠」標高212mからの伊予松山15万石の夜景です。

伊予松山15万石の城下町にも夜の帳が

春や昔十五万石の城下かな  子規

参考1:
15万石とは石高のことで、一石は当時の大人1人が1年間に食べる米の量のこと。
約150kgと言われており、土地の生産力(収益性)を表す単位。「文化年間(1810年頃)の米の物価を現代に当てはめた場合、一石は約4万5千円である」という。説によれば当時、松山藩は年間に67億5千万円の収益性を持っていたことになります(実際には天候等自然条件に大きく左右されました)。

松山藩は、初代藩主・加藤嘉明の時代は20万石で、二代目藩主・蒲生忠(ただ)知(ちか)の時24万石となり三代目藩主・松平定行(徳川家康の甥)の時に15万石となり親藩となる。伊予松山藩は親藩、15万石で明治維新を迎え、明治新政府の指示で松平姓を返上し、旧姓久松姓に戻す。久松家は菅原道真との経緯を持つ家柄である。

参考2:
藩政時代、松山藩と呼ばれる藩が5藩あった。

松   山   藩

1,山形県飽海(あくみ)郡(ぐん)松山町に存した藩・・:出羽松山藩

2,埼玉県比企郡(ひきぐん)吉見町に存した藩 ・・・:武蔵松山藩

3,奈良県宇陀郡(うだぐん)大宇町に存した藩 ・・・:宇陀(うだ)松山藩

4,岡山県高梁市(たかはしし)に存した藩・・・・・:備中松山藩

5,愛媛県松山市に存した藩・・・・・・・・・・・:伊予松山藩

伊予松山藩は、四国の親藩としての役割を担ったと言われている。また長州征伐に参戦、藩主松平定昭に対し京都から動かぬよう指示があったにも関わらず徳川慶喜に同行し大阪城に移動等々で朝敵とされ明治新政府から15万両の莫大な制裁の献金を要求され、当時疲弊していた松山藩は15万両調達することに大変苦労したそうです。

平成27年7月18日から8月9日まで開催された「光のおもてなし・in松山城」のポスターです。

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