松山市立拓南中学校の生徒さんが歴史の山「天山」を課外活動の一つである「地域の清掃活動」を行っていた。
愛媛県松山市は、令和元年12月1日現在の人口は、509,007人で、その内石井地区の人口は、58,461人で、松山市で人口の一番大きいい地区で一つの自治体(市制が出来る)が出来る町である。
その石井地区の一つの町に天山町がある。
天山町の人口は、1、909人で、伊予松山城から南方向約5kmの地点に位置する松山市の中心にある。
この町に、大和国(奈良県橿原市)にある天香久山と、伊予国(松山市天山町)にある天山は深いご縁がある山で、お山の縁(神代の伝説に出て来る)で歴史姉妹町として両町の交流が行われており、天山山頂には、天山神社がある。
両町姉妹交流20周年を記念して立派な記念碑が山頂に鎮座する天山神社に建立してある。
私は天候の良い日は、毎日参拝を兼ねて健康維持のため115段の天山神社の石段を一往復登り下りをして体力維持をさせて頂いている。
先日偶然に中学生が天山神社の清掃しているところにでぐわし、学校名を聞くと松山市立拓南中学の生徒さんであることが分かった。
引率の先生に伺うと、今日清掃に参加している生徒は天山町から拓南中学に通っている生徒たちであることが判明した。
以前、拓南中学に入学する生徒さんは、松山市立素鵞小学校と松山市立桑原小学校を卒業した生徒さんが入学する校区制があり校区外入学は出来なかった。
しかし近年は、教育委員会に申請し許可が下りれば校区外入学が可能である。
天山神社の清掃をしていた生徒さんは、天山町に居住し校区外入学で拓南中学に入学し勉学している生徒さんであった。
私の中学時代は、拓南中学に通学出来れば行きたかったが校区制があり入学できなかった。
行きたかった理由は、近かったから、校区制があるため自宅から遠く離れた久米中学に通学した。
引率の先生に天山神社の清掃について伺うと、生徒たちが居住している町が少しでも気持ちよく生活が出来るようにと、各町から通学している区域を課外活動の一つとして行っています。天山町から通学している生徒さんたちは、天山神社を清掃する事にしております。・・と返答があった。
社会道徳の高揚になり、教育の三本柱である「学校教育・社会教育・家庭教育」の社会教育の一つの教育で素晴らしい活動であると感心した。
先生の最後の言葉に、天山神社の清掃活動をする前までは天山が歴史のある由緒深い山であることは知らなかった。
私もいい勉強をさせてもらったし、生徒も私と同じ思いですと付け加えられた。
画像は、天山町から通学している松山市立拓南中学校の生徒さんが天山神社の清掃活動をしている風景です。
松山市内中心の空撮画像で、天山と拓南中学の位置図です。
天山は、伊予松山藩初代藩主、加藤嘉明が松山築城の際徳川家康に築城許可申請をした第一番候補地で、第二番候補地が現在の松山城(勝山)第三番目の候補地が御幸寺山であった。
天山神社の115段の石段を上がると天山神社参道がある。
天山の標高は、50,4mであり、山頂には天山神社がある。
天山神社の所在地は、
松山市天山町林の内370番地、として愛媛県神社庁発行の「愛媛県神社誌」に、日尾八幡神社飛地境内神社として掲載されている。
天山神社参道を清掃する松山市立拓南中学の女生徒さんたち。
天山神社参道を清掃する松山市立拓南中学の女生徒さんたち。
天山神社は、日尾八幡神社の末社である。
神社拝殿で心を籠めての清掃活動、引率の先生から天山の由緒を聞き天山の存在価値を再認識し清掃していることであろう。
天山神社拝殿右側には広場があり遊具も設置してある。ここも清掃する生徒さんたち。
天山神社拝殿右側には広場も丁寧に清掃する松山市立拓南中学の生徒さんたち。
天山神社拝殿右側に昭和52年4月から奈良県橿原市南浦町(天香久山)と愛媛県松山市天山町(天山)との姉妹町交流が始まりその交流二十周年記念碑が建立されている。
姉妹町交流が始まった交流二十周年記念碑の裏面。
境内南側の広場は沢山の落葉樹が植栽されているので落ち葉が沢山あるので清掃も大変。
参道は綺麗に清掃されました。
拝殿前も綺麗になりました。
予定の清掃も完了し115段の石段を下りて来る拓南中学の生徒さんと引率の先生で、皆さん清々しい顔をしていた。・・ご苦労様でした。
画像、右側の石碑は天山神社の社号碑で、日尾八幡神社神官の子として生まれた、書家・三輪田米山の揮毫である。
昭和52年4月松山市天山町の代表が奈良県橿原市南浦町を訪れ姉妹町の交流が始まったその時の新聞記事。
昭和52年4月から愛媛県松山市天山町と奈良県橿原市南浦町は、山の歴史の縁で交流が始まり両町の代表数名が双方を訪れ交流を深めていたが、暫くと疎遠になっていたが、21年ぶりに交流した。・・その時の新聞記事。
天山神社115段の石段に沿って、天山と天香久山の説明版が設置してある。
天山神社115段の石段には天山と天香久山の説明版が設置してある。
説明版を切り取ると「大和三山」の事項が書かれている。
説明版を切り取ると「伊予の天山」の事項が書かれている。
奈良県橿原市南浦町に位置する「天香久山」で標高、152,4m。
愛媛県松山市天山町に位置する「天山」で標高、50,4m。
天香久山と山の形も何だかよく似ている。
松山市教育委員会が設置している「天山」の説明版。
天山山頂にある天山神社拝殿左側に設置してある「天山神社縁起」
天山については、風土記 日本古典文学体系 風土記逸文・伊予の国その中に「天山」の記述がある。
風土記は、和銅6年(713年)元明天皇が諸国に命じて地名の由来や物産、伝承を報告させたが、完全に現存するのは出雲国のものだけ。
不完全ながら残っているものに常陸・播磨・豊後・肥前などがある。
伊予の場合は「逸文」としてごく一部が伝わっており、その一部として天山に付いての記述がある。
伊予松山城天守群が一番綺麗に見えるのは、加藤嘉明が松山城築城第一番候補地として徳川家康に申請した天山から見る姿が一番である。