こんにちは。
日本で唯一の、離島を旅する難聴治療専門鍼灸師のチベットです。
日本語では、何かをみるときは「見る」って漢字を使うことが多いかなと思います。
見学だの見識だの発見だのって、見ることと目的とする動作がセットになってるんじゃないのかね(知らんけど)。
ほかにも観るで観劇だの観賞だのって、いろいろな使い方があるから複雑だけどさ、まあ難しいことはおいといて、
治療家にとっての「みる」ってのは、見るではなく、診るなんだと僕は思ってる。
一般的な見るという行為は、視線の先に対象物があり、目的が必要となる(僕の考えですよこれは)。
全体を見ようと思って視線を一点に合わせてボーっと見ようとしても、結局は見てる一点しか見えていないもの。
だから、見たいものしか結局は見えないし、見えないものをみることはできない。
患者さんの症状を見てしまうと、本当の原因や悩み、苦しみはみえてこないものだから。
治療家においてのみるということは、診るである。
診るとは、視点を二点に置くことです。
両目で見える両サイド限界点にそれぞれ視点を置いて見ると、その範囲内は見なくても見えるんですよ。
バイクの運転中はまさにこんな感じかな。
見ると、見えない。
診ると、見えないものもみえるようになる。
診るとは、察する、気づく、感じ取るということでもある。
診れば、何か変だなと気づくことができる。
いつもと患者さんの雰囲気がなんとなく違って変だなと気づければ、それでいい。
気づけなければ、見たいものを見てしまい、変化を見落とすものだから。
見落とすのは、見ているからなんだ。
距離が近いと見落としも増える。
時間が早いと見る回数も増える。
普段の何気ない行動こそ、極意ってやつが含まれてるのかもね。
チベットでした。
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