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新海流ニューシネマ「天気の子」(2019)

ぷらすです。

Amazonprimevideoで新海誠監督の『天気の子』をレンタルしました。
それまでの”知る人ぞ知る“カルト的な監督から、前作「君の名は。」の記録的大ヒットで一気にメジャー監督の仲間入りをした新海監督が、あのメガヒット作の後にどんな作品を作るのか、楽しみに観ましたよ。

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画像出展元URL:http://eiga.com

概要

秒速5センチメートル』などの新海誠監督が、『君の名は。』以来およそ3年ぶりに発表したアニメーション。天候のバランスが次第に崩れていく現代を舞台に、自らの生き方を選択する少年と少女を映し出す。ボイスキャストは、舞台「『弱虫ペダル』新インターハイ篇」シリーズなどの醍醐虎汰朗とドラマ「イアリー 見えない顔」などの森七菜ら。キャラクターデザインを、『君の名は。』などの田中将賀が担当した。(シネマトゥディより引用)

感想

新海誠監督について

以前も書いた通り、僕は新海作品って実質的なデビュー作「ほしのこえ」と「君の名は。」そして本作の3本しか観たことがありません。
それは(「君の名は。」の感想でも書いたけど)「ほしのこえ」を観た時、彼の描くいわゆるセカイ系が僕には合わないと思ったからなんですね。

で、前作「君の名は。」も最初は観る気なかったんですが、社会現象ともいえるほどの大ヒットや高評価をアチコチで見かるうちに気になって、映画館に足を運んだわけです。

君の名は。」は、新海誠監督と“みんな大好き”(棒)川村元気プロデューサーが初タッグを組んだ作品ですが、なんていうかこう、新海誠監督のセンチメンタルで繊細私小説的世界観は残しつつ、サルでも分かる川村チューニングRADWIMPSの楽曲も相まって、観客が非常に観やすく共感しやすいエンタメになっていたし、まぁ僕も十分に楽しんだわけです。

で、前作同様、新海誠川村元気RADWIMPSという鉄壁の布陣で臨んだ本作。

故郷の神津島に息苦しさを感じ、大都会東京に家出した少年・帆高( 醍醐虎汰朗)は都会の波に揉まれた末に、冒頭フェリーで偶然出会った須賀小栗旬)の事務所

に身を寄せます。

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雑誌に寄稿する記事の取材をするライター見習いとして働きながら、やっと居場所を得た帆高は仕事中、以前マックで食事を恵んでくれた女の子・陽菜(森七菜)と再会。
100%の晴れ女という彼女の特殊能力を知り、生活に困窮する彼女を救うため「晴れ女」ビジネスを立ち上げて仕事を手伝ううち、帆高は彼女に惹かれていくのだが……。というストーリー。

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その背景には、関東地方に長期間雨が降り続くという異常気象があるんですね。

前作君の名は。」では、3.11を物語に取り込んだ新海監督ですが、今回は世界中で実際に起こっている異常気象を物語に組み込んでいるわけです。

新海流ニューシネマ

そんな本作で、新海監督が取り組んだのはニューシネマのオマージュ

アメリカン)ニューシネマとは、1960年代後半から70年代前半にかけてアメリカで作られた映画群のことで、「俺たちに明日はない」「イージーライダー」「タクシードライバー」などが有名。
内容を超ざっくり説明すると、大人や体制に反抗するも負けて死ぬ若者の物語です。(もちろんそれだけじゃないけど)

本作では、そんなニューシネマや70年代ATG(日本アート・シアター・ギルド)作品的なモチーフが随所で登場します。

冒頭、東京に出たものの(年齢的に)仕事も家もなく、困窮し疲弊していく帆高がたまたま拳銃を手に入れたり、クライマックスでの帆高が警察から逃走するのは、いかにもニューシネマ的。

さらに陽菜が空と繋がる事になる神社があるのは、かつて70年代のドラマ「傷だらけの天使」で屋上に萩原健一・水谷豊が住んでいた廃ビルの屋上(エンジェルビル)だし、須賀のキャラ造形や彼の半地下の事務所は、どこか松田優作主演のドラマ「探偵物語」を連想させます。

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ストーリーも、寄る辺なき少年少女が、やっと見つけた彼らの居場所を理不尽に奪おうとする大人たち(体制)に反抗する物語ですしね。

ちなみに、新海作品の特徴でもある「セカイ系」とは、超乱暴に説明すると「自分(と君)・他者・世界」から「他者」を引っこ抜いて、「自分(と君)と世界」を直結させる物語形式で、「新世紀エヴァンゲリオン」がその始まりと言われています。

他者(大人や体制)への反抗を描いたニューシネマと、世界から他者を排除する“セカイ系”は本来、相容れないように思うんですが、新海監督は本作でこの両者を融合させ、(形はどうあれ)主人公を社会と向い合せたという一点において、新海監督の進化みたいなものを感じましたねー。

 

というわけで、ここからネタバレするので、これから本作を観る予定の人や、ネタバレは嫌!という人は、ここから先は映画を観た後に読んでくださいね。

 

映画後半、お尋ね者として警察から逃げることになる帆高・陽菜、そして陽菜の弟・(吉柳咲良)の3人。
大雨や8月なのに降り積もる雪の中で当て所もなく歩く彼らの姿は、冒頭で東京に出てきたばかりの帆高と重なるようになっていて、一度は手に入れた幸せな居場所を失った強い喪失感が伝わる構成になっています。

そして、そんな彼らはラブホテルで“最後”の一夜を明かす事になるんですが、すでに陽菜が天気の巫女で、異常気象を解消するための“人柱”として「彼岸」?に連れ去られる運命が明かされているし、別れを予感させるシーンもあるんですね。
そして、帆高が目覚めると陽菜は消えていて、同時に、ホテルに乗り込んだ警察に帆高と凪は捕まってしまう。

しかし刑事の一瞬の隙をついて逃げ出した帆高は、陽菜を取り戻すため廃ビルの神社に向かって激走するわけです。

恐らくはこのクライマックスがニューシネマとセカイ系の接合点で、帆高は大人(体制・他者)から逃げて神様(体制・ルール)に奪われた陽菜を取り返しに行くのです。

そんな帆高を助けるのは、大人(体制)と子供の中間にいる須賀の妹・夏美(本田翼)であり、子供の凪であり、大人(体制・世界)から外れた須賀であり。

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そして、ようやく陽菜に辿り着いた帆高は、世界と陽菜(君)との2択で、迷わず陽菜を選択するわけですね。

その代償として、以降3年(正確には2年半)降り続いた雨で東京の広範囲が海に沈むことになるわけですけどもw

ラスト問題

そんな本作の評価は、賛否が分かれているようです。

正直に言えば、僕も本作のラストには若干のモヤモヤが残りました。

多分、新海監督が本作でやろうとしたことや言わんとしてることは概ね理解してるつもりだし、個人的には大いに頷けるんですが、それでもどこか腑に落ちないというか。

反対意見の中には、帆高が人に向けて鉄砲を撃つことや、その割に罪が軽いことに違和感や拒否感を感じる人もいたみたいですが、僕はそこはフィクションとして別に気にならなかったし、帆高が世界より陽菜を選択したのも納得できる。

帆高が手に入れた銃を発射するのは、セカイの理不尽(大人・父親・体制・暴力など)に対する怒りの表現で、ニューシネマ的な作劇ではよく使われるし、世界より陽菜を選ぶのも、元より大人たちの勝手で壊した世界の責任を、たった一人の少女(子供たち)に負わせるなんて虫が良すぎるだろうという新海監督のメッセージと受け取りました。

じゃぁ、どこが気になったかというと、冒頭と最後がちょっと言葉足らずなのではないかなと。

冒頭、帆高は「島(田舎)の息苦しさ」に耐えかねて東京に家出をしたと、モノローグで語っています。その顔には絆創膏が貼られているんですね。

原作では、帆高は父親に殴られた事も独白してるらしいですが、監督のインタビューによれば「帆高の家出に、憧れ以外の理由を足したくなかった」(意訳)という理由で絆創膏の理由には触れていません。

でも、だとしたら、帆高が東京に憧れるキッカケや理由をもう少しハッキリさせた方が良かったのでは?と。
前作でもちょっと思ったけど、ネットでどことでも繋がれる現代、理由もなく東京に憧れる若者っていう図式は正直ちょっと古臭い感じがするし、彼の家出に物語をけん引するほどの強い動機が見えないことが、観客が帆高に感情移入しずらい理由の一つではないかと思いました。

で、色々あってのラスト。
陽菜を救った結果3年の保護観察処分を受けてしまに戻された帆高は、晴れて高校を卒業し再び東京に戻るわけですが、彼女を救ったことで海に沈んだ東京の姿に責任を感じている様子。
そんな彼はお天気ビジネスの依頼主だったお婆さんや須賀に、「200年前の姿に戻っただけ」「誰のせいでもなく世界は元々狂ってた」と慰められながら久しぶりに陽菜に会いに行くんですが、空に祈る彼女の姿を見た瞬間「違う!」と叫びます。
あの時、僕たちは確かに世界を変えたんだ!」と。

僕は選んだんだ! あの人を、この世界を、ここで生きていくことを!」と。
そして、彼女の手を取って「僕たちはきっと大丈夫!」と宣言して、本作は幕を閉じるんですね。

うんうん、感動的ないいラストシーンじゃないですか。

帆高は東京の農工大に進み、農業を学ぼうと考えてるらしい。
恐らくは雨で食糧自給がままならない状況を何とかしたいという思いでしょう。
さらに彼が読んでいた雑誌には「アントロポセン」の文字が。
これ日本語だと「人新世」と言って、要は「人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与える発端」という意味だそうです。
これは、彼(の選択)が世界を変えてしまったという意味と、温暖化などで世界を変えてしまった人間という二つの意味があるのだと思います。

ラストシーンで陽菜が空に祈っているのは、考察を読むと「晴れを祈ってる」説と「帆高に会えることを祈ってる」説に分かれてるようですが、僕は前者ではないかと思います。

2人がセカイを変えてしまった事は2人しか知らないから、誰にも責められることはないけど、2人はずっとその選択を「これで良かったのか」と悩んでいたんですよね。多分。

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でも、再び陽菜の姿を目にしたとき、帆高は自分の選択が正しかったことを確信。そして、自分たちが選んだこのセカイを背負って生きていく事を宣言するわけです。

いいラストじゃないですか。
ただね………

雨が3年降り続けば、当然色んな被害があるはずで。
浸水で家に住めなくなり避難所暮らしをしてる人もいるだろし、雨で土壌が緩んで土砂崩れが起こり亡くなる人だっていたでしょう。物価は高騰し、職を失った人も当然いるハズ。

というか、僕らは災害のニュースでそういう人達を見てきてますよね。

もちろん、この作品はフィクションなんだからリアルと比べて云々が野暮なのは百も承知だし、本当に雨が3年も降り続くことはありえないので、これは帆高の心象風景としての東京なのでしょう。

でも、作中に描かれていない3年の間、恐らく2人はそうした被害をニュースなどで見て、自分たちの選択が正しかったのかと悩み続けたのではないかと思うし、その結果としての帆高の行動、ラストの結論に達したから感動的なはずで。

なのにそこ(大雨の被害の様子)をまったく描かずに、帆高の目に映る東京は相変わらずキラッキラしっぱなしで、ただ緩やかに水位が上がっただけのユートピアにすら見える……って、

ポニョか!(。・д・)ノ)´Д`)ビシッ

いやね、確かに雨による被害を描けば物語のノイズになってしまうのは分かるし、だから映像や言葉の端々でぼんやり伝えるという意図は分かる。

でも、間接的でもいいから1カットでも被害のカットが入ってれば、お婆さんや須賀のセリフの意味、帆高の見え方も全然変わったんじゃないかなって思いましたねー。
個人的には、そこだけが残念でした。

でも、前半で書いたようにニューシネマ的な展開には新海監督の進化を見た気がするし、個人的に「君の名は。」よりも本作の方が断然乗れて、面白かったです!!

興味のある方は是非!!

 

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