原日本紀の復元055 垂仁天皇・景行天皇・成務天皇の時代〈2〉原日本紀年表からみる古代天皇の系譜 | 邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国熊本説にもとづく邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年法による日本書紀研究について
ぼちぼちと綴っていきたいと思います。

 前記事〈垂仁天皇・景行天皇・成務天皇の時代〈1〉『日本書紀』年代観の再確認〉でみたように、『日本書紀』では古代天皇の宝算(ほうさん)(寿命)は大幅に延ばされ、垂仁天皇の誕生年・即位年は紀元前に突入しています(図1)。

 それを原日本紀年表で復元してみるとどのようになるでしょうか。

 368年から374年までの成務天皇の治世から、垂仁天皇誕生までさかのぼったのが図2です。

 

■図1 『日本書紀』の設定する各天皇の生存期間

 

■図2 原日本紀年表による各天皇の生存期間

 

 はたして、垂仁天皇・景行天皇・成務天皇の年代観がどのように変わるのか、比較してみましょう。立太子の時期と年齢から算出した半生の比較です。

 

〈垂仁天皇〉

●日本書紀:45歳で即位/99年の治世/143歳で崩御

●原日本紀:29歳で即位/22年の治世/50歳で崩御

 

〈景行天皇〉

●日本書紀:84歳で即位/60年の治世/143歳で崩御

●原日本紀:27歳で即位/24年の治世/50歳で崩御

 

〈成務天皇〉

●日本書紀:39歳で即位/60年の治世/98歳で崩御

●原日本紀:34歳で即位/7年の治世/40歳で崩御

 

 「原日本紀年表」による年代観が絶対に真実だと断言はしませんが、『日本書紀』の設定する年代観よりは現実的だと思うのですが、いかがでしょうか。

 

 では、もう一つの課題だった日本武尊と仲哀天皇の父子関係についてです。

 『日本書紀』では日本武尊の崩御後、35年経ってから仲哀天皇が生まれられたことになっています。ありえないことです。

 それが、「原日本紀年表」では図2のように二人の生存期間が重なってきます。

 これに関しては、仲哀天皇紀に、天皇が父王(日本武尊)について述べた記事があります。

 

朕、未だ弱冠に逮ばすして、父の王、既に崩りましぬ。

(坂本太郎ほか校注『日本書紀(二)』岩波文庫)

 

 つまり、父王である日本武尊は、仲哀天皇が弱冠(じゃっかん/『日本書紀(二)』では「かうぶり」)に達しないうちに崩御してしまわれたと述べています。この「弱冠」は、五経の一つである『礼記(らいき)』で20歳を弱冠というとされています。つまり、仲哀天皇が20歳になるまでに日本武尊は崩御されているのです。

 図2からは、日本武尊が崩御された357年には、仲哀天皇は16歳だったことが読み取れます。仲哀天皇紀の記述と見事に一致しているのです。

 

 しかし、困ったことに重なり過ぎてもいるのです。

 日本武尊の年齢算出の基準点は「景行天皇43年に30歳で崩御」です。この年である357年から逆算すると、誕生年は328年です。

 一方、仲哀天皇の年齢算出の基準点は「成務天皇48年に31歳で立太子」です。この年は372年であり、導かれる誕生年は342年です。

 すると、仲哀天皇は日本武尊が15歳の時の子ということになります。現代の満年齢では14歳、中学2年生ぐらいです。これだけでも論の成立は厳しくなるのですが、さらに、仲哀天皇は日本武尊と両道入姫皇女(ふたじのいりびめのひめみこ)の長子ではなく第2子なのです。兄の稲依別王(いなよりわけのみこ)はいったい何歳の時の子か、ということになってしまうのです。

 

 この結果をみる限り、『日本書紀』の記述からの不成立とは別の理由で、日本武尊と仲哀天皇は父子ではありえないということになってしまうでしょう。

 ただし、この件については別途仮説を提示しますので、いったん保留にしておきます。

 

 それよりも大きな問題といいますか新たな発見は、日本武尊が景行天皇の子ではありえないという結果です。

 景行天皇は318年生まれ、日本武尊は329年生まれです。親子関係は成立しません。

 

 では、この状況で考えられることはどういうことでしょうか。次は、謎の多い日本武尊について考えていきます。(日本武尊の考証に続く)

 

お読みいただきありがとうございます。よろしければクリックお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ   
にほんブログ村    古代史ランキング

 

*********************************

総合オピニオンサイト「iRONNA」に論文が掲載されました。

邪馬台国畿内説批判と熊本説の妥当性についてまとめた小論です。

タイトルは〈「邪馬台国は熊本にあった」魏の使者のルートが示す決定的根拠〉です。

こちらもぜひお読みください。

*********************************

 

*****

拙著『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書)