「年輪年代法」は歴史の真実を解き明かすか? | 邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

 5月11日に、文京区の文化シャッターBXビル多目的ホールで、全国邪馬台国連絡協議会 第9回東京大会「【古代史への科学的アプローチ法】開発者に聞く!年輪年代法」が開催されます。

 

 当日は日本の「年輪年代法」を開発されたご本人である光谷拓実氏が、「年輪年代法の現状と展望」というテーマで講演されます。

 私は、年輪年代法はその基本データが未公開?」という認識を持っているので(間違っていたらご容赦ください)、そこから得られた年代については多少懐疑的な立場です。しかし、年輪年代法に関して私が得られる情報は限られているので、正確に理解できていない部分も多いのは自覚しています。

 ところが、今回はその年輪年代法を開発したご本人から直接お話を聞くことができます。こんなチャンスは滅多にありません! 耳をそばだてて聞き漏らさないように話を伺いたいと思っています。

 

 その前に、「年輪年代法」について簡単に復習しておきたいと思います。

 年輪年代法は、20世紀前半にアメリカの天文学者であるダクラス氏によって考案されました。

 樹木の生育は気象条件などによって左右されますから、年によって年輪の幅に差が出ます。好条件で生育が促進された年は年輪幅が広く、悪条件で生育が抑制された年は年輪幅が狭くなります。

 その広狭を過去にさかのぼって知ることができれば、対象となる木材がいつ伐採(枯死)されたかがわかるという原理です。たとえば、過去10000年の年輪パターン(暦年標準パターン)が完成されれば、その間に生育した樹木がいつの年代に育ち伐採されたかがわかるという理屈です。

 欧米では早くから研究が進み、過去何千年にもわたる暦年標準パターンが出来上がっているようです。

 

 遅れていた日本でも、1980年頃から光谷氏が本格的な研究を開始し、現在では過去約3000年におよぶデータが揃っているそうです。

 その間、滋賀県の紫香楽宮(しがらきのみや)の特定や、大阪府の池上曽根遺跡の年代特定など、古代史の現場においても目覚ましい成果をあげています。また、C14年代法の日本産樹木による較正曲線にも活かされているようです。

 

 ただし、当初から地域差の激しい日本のような土地では正確な暦年標準パターンは作成できないのではという懸念もありました。つまり、離れた地域で測られたデータ同士の整合性がとれない可能性や、一地域で暦年標準パターンが作成されたとしても他の地域の樹木に適用できない可能性などです。私も、海に囲まれ南北に長い日本の国土や、毎年の局地的な異常気象を考えるとそう思ってしまいます。

 しかし、日本の年輪年代法が本当に実用レベルに達しているのであれば、古代の遺跡・遺物の年代測定にこれほど適しているものはないと思います。だから、諸々の先入観は捨てて、今回の講演をしっかり聞いてみたいと思います。

 

 繰り返しますが、今回は開発者から直に話を聞ける貴重なチャンスです。古代史にご興味のある方は、会場に足を運ばれてはどうでしょうか。

●詳細は → 【古代史への科学的アプローチ法】開発者に聞く!年輪年代法

 

 

★以下、引き続きで申し訳ありませんが、拙著の宣伝です。

 

『日本書紀』だけが教える ヤマト王権のはじまり

伊藤雅文(著)/333ページ/扶桑社新書301/定価980円+税

 

 2020年に完成1300年を迎える『日本書紀』の解明にむけて、新たなアプローチ法で古代史の真実に迫りました。定説・通説を覆す新説・新解釈が満載の一冊になっています。

 新元号「令和」のもと、新たな時代がスタートしたこの時に、日本最初の正史である『日本書紀』から「日本のはじまり」に思いを馳せてみませんか?

 以下に主だった論点をまとめてみました。

 ぜひ一度、本書をお手にとっていただけますとうれしいです。

 

『日本書紀』には『原日本紀(げんにほんぎ)』が存在した。

『原日本紀』は各天皇の治世に「無事績年(事績の記されない年)」のない編年体で記された。それに紀年延長操作を加えて、720年、『日本書紀』は完成した。だから、『原日本紀』を復元することこそが、古代史の真実に近づく最善の方策である。

 

倭の五王「讃」「珍」「済」「興」「武」を比定する。

『日本書紀』は中国史書に名を残す倭の五王が誰であったかを記していない。『宋書』をはじめとする中国史書と『原日本紀』の編年を対比させることにより、当時の状況を見つめなおし、倭の五王が誰だったのかを考察する。

 

神功皇后は卑弥呼をもとに創造された女帝である。

神功皇后は、唐に対して日本の皇統の正当性や歴史の長さを宣言するために、暗示的に創造された女帝である。その証拠に、「魏志倭人伝」の卑弥呼および壹与をトレースした人物像を与えられている。また、神功皇后紀を挿入した弊害として、その前後の『日本書紀』の紀年は大きく歪められている。

 

武内宿禰像を再構築する。

300年を超える寿命で伝説上の人物とされている武内宿禰の人生を、『原日本紀』の年表にしたがって再検討する。その結果、長寿ではあるが確かな実在の人物として、武内宿禰が古代史上に像を結んでくる。

 

「白鳥」がつなぐ日本武尊と誉津別命(ほむつわけのみこと)

武内宿禰とは対照的に30歳で早世した英雄である日本武尊を軸に、垂仁天皇から仲哀天皇にいたる天皇紀を検証する。『日本書紀』の延長された紀年を正すと、「白鳥」で結ばれた二人の関係が浮かび上がる。

 

「東征」はいつ、誰がしたのか。

神武天皇は実在したのか? 欠史八代をどう考えるのか? 初期天皇の考察を通して『原日本紀』の編年表が完成する。東征開始は294年、初代天皇即位は301年の「辛酉年」という結論にいたる。

 

継体天皇の二王朝並立説を考える。

『原日本紀』復元のその先に見えてくるものについて考える。継体朝と仁賢・武烈朝の二王朝並立について、『原日本紀』段階で直列化された痕跡を、二つの王朝紀に書かれた記事の奇妙な一致から探る。

 

古墳時代の三大金石文を解釈し直す。

『原日本紀』を復元した年表から考えれば、古代の貴重な金石文は何を語ってくれるのか? 著名な三大金石文「七支刀」「隅田八幡神社人物画像鏡」「稲荷山古墳金錯銘鉄剣」の銘文を新たな始点から読み解く。そこから、各文にまつわる新たな物語がみえてくる。

 

★令和元年5月1日発売!

 

 

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拙著『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書)