原日本紀の復元062 神武東征にみる『日本書紀』と『古事記』の違い | 邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

 『日本書紀』の紀年延長を施す前に存在したと私が考える文書『原日本紀』では、神武東征がスタートしたのは294年となります。しかし、いきなり大和を目指したわけではありません。途中、いくつか宮を造営して、軍勢や食糧を蓄えながら最終的に大和を目指します。そして、結果として神武天皇(崇神天皇=初代天皇)が橿原で即位されるのが301年です。

 

 『日本書紀』はその行程に現れる宮について以下のように記しています(図表1)。

 

■図表1 神武東征に現れる宮

 

 それを現在の地図上に置いてみたのが図表2です。

 

■図表2 神武東征に現れる宮の位置

 

 さて、神武東征は『日本書紀』だけでなく『古事記』にも書かれています。ところが、『古事記』の記述は『日本書紀』とは異なる部分が多いのです。

 『古事記』の記述はもともとシンプルなものですが、それを略記すると次のようになります。

 

日向を出発

豊国(とよくに)の宇沙(うさ)に到る

足一騰宮(あしひとつあがりのみや)に滞在(滞在期間不明)

竺紫(つくし)の岡田宮(おかだのみや)(1年滞在)

阿岐国(あきのくに)の多祁理宮(たけりのみや)(7年滞在)

吉備(きび)の高嶋宮(たかしまのみや)(8年滞在)

大和方面へ向かう

 

 まず、出発地点です。これは両者ともに「日向(ひむか)」で一致しています。ただし、『古事記』はいつ出発したかは記していません。

 

 次に「宇沙」です。これは『日本書紀』の「菟狭(うさ)」と同じだと思われますが、『古事記』では「豊国」の宇沙であり、『日本書紀』では「筑紫国」の菟狭とされます。『日本書紀』には「豊国」の認識がなかったのでしょうか。

 宮は、漢字は異なりますが「あしひとつあがりのみや」で共通しています。『古事記』も『日本書紀』も滞在期間は記しませんが、『日本書紀』では10月5日に東征に出発し、11月9日に岡水門に着くまでの話なので、1か月以内の短期間だったと考えられます。

 

 問題はその次です。『古事記』は、「竺紫」の「岡田宮(おかだのみや)」に1年滞在されたといいます。しかし、『日本書紀』には「岡田宮」は登場しません。11月9日に「筑紫国」の「岡水門(おかのみなと)」に到着したと記すのみです。宮を造ったとは書かれていません。経由地として記すだけで12月27日には安芸国の埃宮(えのみや)に入ります。

 

 この岡田宮と岡水門ですが、比定地が存在します。

 岡田宮は北九州市八幡西区にある一宮神社、岡水門は遠賀川下流の岡湊神社(おかのみなとじんじゃ)に比定されています。ともに、関門海峡より西にあります。

 従来から、「なぜ、神武天皇一行は瀬戸内海を東進する前に、わざわざ関門海峡を抜けて西へ行く必要があったのか?」が謎とされています。そして、それに答える形で「神武天皇の祖先(高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)や大日孁貴(おおひるめのむち)〈天照大神(あまてらすおおみかみ)のこと〉など)がこの地にいた」という説や、「実は東征の出発点の日向は糸島市など北部九州であった」という説などが唱えられています。

 

 しかし、私は『日本書紀』を読む限りにおいては、岡水門で何か意義深いことが行われたとは思えないのです。もしそうであれば、宮を造ったとか、祭祀を行ったとか、何らかの記事が残されるはずです。11月9日に岡水門に着いてから12月27日に安芸国の埃宮に入られるまで2か月弱ありますから、その間岡水門に滞在された可能性はありますが、意図的に航路を西に変更してまで行く場所ではなかったのではないかと思います。だから、岡水門の場所は関門海峡の西ではなく、手前にあったような気がします。何か根拠があるわけではありませんが、大分県の宇佐から広島県の安芸に至る沿岸の、特徴的な地形の場所を岡水門と表現したのではと想像します。例えば、関門海峡の瀬戸内海側の入口辺りのどこかとかです。

 

 さて、その後の経緯についても、時間的に大きな違いがあります。

 『古事記』は阿岐国の多祁理宮に7年間滞在し、吉備の高嶋宮に8年間滞在した後、大和に向かって進軍されます。

 一方、『日本書紀』は図表1のように、安芸国の埃宮に2か月強、吉備国の高嶋宮に約3年しか滞在されていません。

 これについては、どちらが正しいか判断しようがありませんが、私としては年月日まで付している『日本書紀』の方が真実に近いのではないかと思います。つまり、前記事の繰り返しになりますが、神武東征の出発年は294年だったと考えられます。

 

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